ペーター・マークの経歴 

 1919年5月10日スイス東北部のザンクト・ガレンで生まれ。2001年4月16日イタリア北部ベロナに
て永眠,81歳。
 幼少の頃から音楽の才能を発揮し、特にピアノに打ち込んで、10代前半にはもう音楽家としての腕前
があったらしい。チューリッヒ大学ではヤスパースに哲学と神学を学び、その後パリに行ってアルフレッ
ド・コルトーにピアノを学び、スイスに戻ってエルネスト・アンセルメのアシスタントとして指揮を学んだ。
 そして1947年スイスのビールゾロトゥルン歌劇場の音楽監督に就任し、やがてヴィルヘルム・フルト
ヴェングラーの推薦によって、1952年にデュセルドルフ市立歌劇場の第1指揮者になった。ここで高評
価を得たマークは1955年ボン市の音楽監督に就任して、同市の歌劇場やオーケストラを仕切ることと
なる。1956年モーツァルト生誕200年祭の行事としてボン市立歌劇場で指揮したモーツァルトのオペラ
全作品の演奏により、一躍モーツァルトのスペシャリストとして知られるようになる。また、シンシナティ交
響楽団を振って、アメリカ・デビューし、その頃には、コヴェント・ガーデンやシカゴのオペラ・ハウスにも登
場して、活動の舞台を広げたらしい。

 DECCAとの録音活動など出世魚街道ばく進中のペーター・マークですが・・・・・

 『1960年頃の私は指揮者として大変よいキャリアを積んでいました。しかし、いつも,いつも,いつも,
ホールとホテルと飛行機の中ばかりだし、マネージャーや支配人との打ち合わせに追いまくられる・・・・・
耐えられなくなりました。』
 『他人の成功を腹立たしく感じる自分を”クレージー”だと気づきました。そして、純粋に音楽に立ち戻り
たいと考えました。そこで、ギリシアのアトス山の修道院に入り、縁あって香港の禅寺に入り2年間ここで
修行しました。』
 『やがて、禅僧は「あなたは音楽によるコミュニケーションが合ってます。だからあなたはここを出て、あ
なたの人生を再び音楽に向けなさい」といいます。』

 そして、2年半ぶりに音楽活動を再開します。


 1964年から67年には、ウィーン・フォルクスオーパーの音楽監督に就任、演目や演出で大胆な改革
路線を打ち出しウィーンの楽壇に新風を吹き込みますが,ウィーンの楽壇は大胆な改革路線を好まな
かったようです。1968年にニューヨークでコンサート・デビュー,72年にはメトロポリタンをはじめて振り
ますが、その後・・・・

 70年代以降の彼はイタリアを主な活動の場とします。1970年から74年まで、パルマの歌劇場の音
楽監督を、1974年から76年トリノのテアトロ・レジョなどのポストを歴任し、80年代後半にはトレヴィ
ーゾにオペラの研修所を開設し、その運営と指導にもあたります。
 1983年には北イタリアのヴェネト州の州立室内オーケストラ、パドヴァ・ヴェネト管弦楽団の音楽監督
になります。1984年から91年スイスのベルン市の音楽監督を務め、同市の交響楽団とオペラ座を仕
切ります。1984年から86年にはスペイン国立管弦楽団の首席指揮者も務めたらしい。


参考:ARTS ベートーヴェン 交響曲 全集/モーツァルト 交響曲 集
    ライナー・ノート 片山杜秀


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