Rhapsody in Kunya


 2001年 1月31日(水)

 ここ数日、駅のホームに人が落下して助けに入った話題がニュースになっています。私が出入りするフォーラ
ムでも話題になっています。亡くなられた人が居るので大変,申し難いのですが・・・・人命救助とはいえホーム
から降り線路内に入る行為は大変危険です。

 絶対にマネしないように!

 人や物が線路上に落下したときは、駅員に知らせるか、その時間が無い場合、緊急ボタンを押すのが原則
です。そんなこと言っても身内が目の前でホームから落ちたら冷静に対応する自身はありませんが,報道する
側は「絶対にマネしないように!」の一言を加えてほしいものです。


 2001年 1月29日(月)

 結局,予定の日数より1日短縮で神戸を後にすることになった。そのため支給された出張手当の一部を返
還することとなった。お金といっても夕食と銭湯にしか使っていなかったので困りはしなかったが・・・・帰路は
飛行機を使ったが機内で読む(見る)雑誌を買いに行き、空港内をウロウロしたため搭乗時間に遅れそうに
なった。
 
 さて、これを書くに当たりいろいろ思い出そうとしたが、あまり思い出せなかった・・・・例えば、何泊何日で神
戸に行ったのか?朝飯,昼飯はどうしたのか?結局,思いだせなかった・・・・また,神戸に行った実感は待ち
時間が多く,働いた感覚があまりなかった,そして寒かったこと(現地では暖房は一切なかった)・・・・しかし、
震災にあった街並みとサイレンの音はハッキリ覚えている。

 いつの日か・・・・またあの場所を訪れたい。


 2001年 1月28日(日)

 3日目だったか?4日目だったか?忘れたが三ノ宮方面(だったと思う)で活動することになった。ここは芦
屋より,もっと、もっと揺れた土地と聞かされた。
 活動の現場へは駅から歩いて向かった・・・・震災の被害は顕著だった,ほとんどの家屋が崩れていた・・・・
公園に避難所があり,多くの人がそこに居た。終戦直後のニュース・フィルムのような光景だった・・・・40分ほ
ど歩いて活動現場に到着した。建物を見ると屋上駐車場に向かうスロープが崩れ落ちていた。車が下敷きに
なり潰れていた。話を聞くと向かいのマンションでは3人の方が亡くなれたそうだ。
 この現場は芦屋と違い、あまり手が加えられていなかった・・・・任務は売れる商品と,売れない商品を仕分
けして運び出す作業だった。足下にいろいろな物があり,バケツ・リレーの要領で運び出した、その間,頻繁
に救急車のサイレンが響いていた・・・・やはり,ここは非常地帯なのだ!


 2001年 1月27日(土)
 
 2日目は芦屋の店舗から車で15分ほど行くと倉庫があり、そこの倉庫を仮店舗として使うので倉庫の荷物
運びを行うことになった。
 我々,班メンバーはトラックの荷台に乗り込んだ(因みに、この乗り方は道路交通法で禁止されている)。普
通は15分で到着する距離にあるが、震災でまだ道路は寸断されているため通れる道は少ないのである。そ
のため各所で渋滞していた。
 私の記憶では1時間近くかかり現地に到着した・・・・さっそく、乗ってきたトラックに荷物を積み込む、かなり
重い物もあり汗だくとなった・・・・そして、このトラックで荷物をピストン輸送するのだが渋滞のためトラックは
なかなか戻ってこないのである。その間に汗は冷え非常に寒かった・・・・トラックを待っている以上、他のこと
は出来ない・・・・正直,せっかく来たのに暇であった。
 結局,僅か10分で荷物をトラックに積み込み,トラックが戻ってくるのを2時間待つ,この繰り返しで1日が終
わった・・・・


 2001年 1月26日(金)

 大阪の集会室に戻り,食事となった・・・・門限は21時30分 ゲッ!?ガキじゃあるまいしと思ったが,班メ
ンバーと食事に出かけた。大阪名物?てっちりを食べたかったが中華食堂となった、私は野菜炒め定食スー
プ付きを注文した。カウンターに座ったので厨房の様子がよく見えた。
 1個の中華鍋で料理を作り,鍋を洗い,料理を作り,鍋を洗う,その手際の良さに見とれた・・・・その後,銭
湯に向かったが班メンバーは2手にはぐれてしまった。私たちのグループは銭湯をなかなか見つけることが出
来なかった(場所は地元の者に教えてもらったが)ようやく見つけた銭湯に浸った・・・・後で話を訊く別のグルー
プはすぐに銭湯を見つけたそうだ。どうやら別々の銭湯に入ったようだ。そして銭湯談義に花を咲かせた。


 2001年 1月25日(木)

 芦屋における我々の活動任務は関連会社の駅前ビルにある店舗(スーパー・マーケット)の復旧作業であっ
た。建物自体はしっかりしているように見えたが,内部に入ると壁に穴が開いていたり,ヒビが入っていた。
 店内の整理整頓はかなり進んでいた。我々の任務は明日開店のための最終仕上げである。地震から10日
がすぎていたので、売れる商品と売れない商品の区別は済んでいた。売れる商品に値段を付けながら陳列
する仕事だった。言葉にすると簡単だが数千種類におよぶ商品の陳列場所を捜す作業は簡単ではなかった。
 店内に暖房はなく、肌寒かった・・・・作業をしているときはさほどではないが休憩していると汗が冷えて寒かっ
た。
 陳列が終わるとお店の清掃を行った。これでもか!これでもか!と徹底的に掃除をした・・・・作業が終わる
と(時間は忘れたが)外はもう暗かった。電車に乗り大阪に戻った・・・・


 2001年 1月24日(水)

 車窓から見る芦屋市付近の被害はかなりのものであった・・・・崩れた家も幾つかあった。やはり古い建物
ほど被害は大きいようだ。芦屋の駅を降りるとリックサックを背負った人々が次々に降り立った,何か終戦
直後のニュース・フィルムのような光景だった・・・・駅の正面の商店は一階が崩壊して,その上に2階部分が
乗っかっていた,幹線道路は通行可能だがちょっと路地に入ると崩れた塀や家で道は寸断されていた。
 その光景は震災の地と言うよりも戦争で爆撃を受けた街のように思えた・・・・そして、救急車と思われるサイ
レンの音が頻繁に聞こえた・・・・
 私が来たときのは電気は復旧していたが水道,ガスはまだであった。そのためトイレは駅前の広場にある
仮設公衆トイレを使用することが伝えられた。飲み水はどうしたか忘れたが,私が復旧活動したお店では仮
設水槽やポリタンクに川の水が蓄えられていた。


 2001年 1月20日(土)

 さて、バスの中で1泊となったが・・・・これが大変だった!窓際に座ってしまった私は右側から真冬の冷気,
左側から暖房の温風にさらされた。寒さと暑さのダブル・アタックを喰らった! ただでさえ寝付きの悪い私は
ほとんど寝むれなかった。
 バスは途中の降雪のため予定よりやや遅れ、大阪に到着した。寝泊まりは大阪の関連会社の集会室だっ
た。京橋駅の近くだったと記憶している。
 そこに荷物を置き,さっそく活動のため電車で芦屋へ向かった・・・・JRか?私鉄か?忘れたが電車が神戸
に近づくと震災の被害が徐々に現れた。最初は屋根にシートを被せた家が目に付いたが,やがて塀が崩れた
家など,被害が大きくなって行った。何か車窓から観ていると時間の流れを早送りで観ているような不思議な
感覚だった・・・・


 2001年 1月19日(金)

 阪神淡路大震災から6年が経過した。自慢ではないが私は震災から10日後ぐらい(だったと記憶している)
に神戸に行って活動した・・・・自慢でないのはボランティア活動ではなく,仕事の業務として行ったのである。
しっかり主張手当(現金支給)付きである。この時の話を思い出しながら書きつづる・・・・記憶違いがあるかも
しれないが・・・・。
 わかりやすく言えば震災に遭った関連会社のための活動である。私を含めた会社の者たち約40人はバス
に乗り込み,S市を出発した。夜の11〜12時頃,東京を通過した。夜景がとてもきれいだった。土手沿いを
走り、記憶によると東京駅の近くを走り,六本木,渋谷と見覚えのある景色が目に飛び込んだ、そして首都高
の急カーブに驚いた、しかもこの時間帯なのに車の多さにびっくりした。さすが大都会は違う・・・・


 2001年 1月16日(火)

 そもそも成人式なんて必要なのだろうか??成人式で「今日か
ら成人です」なんで意味不明のことを言って
いるのだろうか???
 誕生日が来れば成人(扱い)だろ!「誕生日は来ましたが成人式がまだですから成人ではありません」なん
てバカなこと言わないだろ!
 だいたい親のスネをかじっている学生が成人か(もちろん例外もある)???
 そもそも,成人式だとか言ってクソ寒い時期にクソ寒い体育館に集められ・・・・つまらない話を聞くなんて拷
問に近い。それに参加者の意識も同窓会となっている。こんな成人式を行政が税金を使って行うなんて甚だ
疑問である。いっそのこと参加費を徴収したら!

 もちろん私は成人式は参加しなかった・・・・


 2001年 1月15日(月)

 つい2年前?まではこの日は「成人の日」であった。今年も行政主催の成人式での痴態があったようです。
特に高松市では市長に向けてクラッカーを鳴らし5人が威力業務妨害で逮捕されたそうだ。おそらく不起訴に
なると思うが起訴され法廷で裁判所の見解を聞きたいものだ・・・・
 そもそも成人式では若者がバカ騒ぎや痴態をやらないかマスコミが虎視眈々狙っているの場なのだ。そして
彼らは背中にネギを背負った鴨だったわけだ。愚かなヤツらだ・・・・もちろん、だからといって同情はしない。

 さて、さて、来年は何が飛び出すか・・・・そろそろヤラセもあるだろうな。


 2001年 1月13日(土)

 お昼頃、電話があった、電話にでると「奥様はいらっしゃいますか?」と訊いてくるのであった。「いません」
と答えると・・・・「何時頃お戻りになりますか?」と訊くのである。
 私はウケ狙いで憮然とした口調で「私がバツイチだからって・・からかっているのですか?非常に不愉快だ」
と答えると・・・・ 「あっ、すみません。電話帳を使って電話してたので・・・・云々」と恐縮した口調になったので
ある。 また、アパート住まいなのに「改築,リフォームのご予定はありませんか?」とたわけたことを訊いてく
る電話をしばしば受け取る。

 そもそも下手な鉄砲方式の電話勧誘ってヤツは成功率が低いと思うのですがね・・・・暇なときは私にからか
われるの要注意ですが・・・・

 「○DDIの○○と申します」
 「いゃ〜、お久しぶり!あのCMおもしろいねー。毎回斬新なアイデアで楽しませてもらってますよ。あれはあ
 なたのアイデア???」
 「えっ!?・・・・・」 


 2001年 1月10日(水)

 ガイアックスをご存じだろうか?ガソリン・エンジン用のアルコール系燃料である。詳しくはこちら→GAIAX
ガイアックスはリッター当たり89円(当地ではガソリンはリッター当たり100〜107円である)と低価格で,しかも
排ガスも(ガソリンより)クリーンなのがウリである。

 財政状況がキビシー私(勿論エコ人間)はさっそく,愛車で試した。
 さて、車を走らせると中低速ではトルコンの食いつきが悪くギクシャクする(しかし高速ではスムーズ)。全体に
ややパワー・ダウンした感じになった。燃費は変わりなし。残念ながら価格やクリーン以外プラス要素はありませ
んでした。ただし,軽自動車(トルクが細いエンジン)はガイアックスとの相性が悪いのかもしれない。
因みに排ガスの臭いも違います。

 現在はガソリンとガイアックスを1:1でブレンドして使っています。これで少しは燃料代の節約となり環境にやさ
しい生活になる・・の・・かなぁ???


 2001年 1月 7日(月)

 年賀状といえば最近,写真を取り込んだフォトポストカードをよく見る。結婚式の写真,子供の写真,夫婦と
子供が揃ってポーズを決めている写真・・etc,さまざまであり,微笑ましい光景である。

 念のため言っておくが、これは私のことではない。あくまでも”このような例がある”ことを書いただけである。

 このような写真は送る相手よっては、イヤミ,皮肉,になりかねない。

 結婚に失敗した人,強い結婚願望をもっていて良縁に恵まれない人,子供に恵まれない夫婦・・・・etc,送り
主にそのつもりはなくてもイヤミ,皮肉,になりかねない・・・・

 いゃ、私のことではありません。例えばの話です。本当だってば!>


 2001年 1月 5日(金)

 明けまして”おめでとう”ございます。〜ところで、いったい何がそんなに”おめでたい”のか???

 この疑問は小学生の頃から,いだいていた。年なんてときが経てば自然に明けるじゃんか!この素朴な疑問
に対して人々は・・・・

 Aさんは「さぁ〜、何故でしょうかね〜」
 Kさんは「年が明けたからめでたいの!?そんな理屈をこねる人はめでたくないの!!」
 Tさんは「いゃ〜、新年を迎えるとなんか、あらたな気分になるじゃないですか?気分があらたになるって、め
      でたいじゃ〜、ないですか!」
 Hさんは「昔は、かぞえ歳で歳をかぞえたんじゃ。それは1月1日にみんな、ひとつ歳をとったのじゃ。ようする
      に誕生日だったんだな。だからめでたいんじゃ!」

 私はKさんとHさんの説が説得力があると思う、本当は何故なのか???


 2001年 1月 2日(火)

 このHPを開館して半年となりました。当初の計画ではもっと頻繁に新作ネタを披露するつもりだったが、ま
ことに残念ながらハードな通院生活を余儀なくされ当初の計画は頓挫した。予定外と言えばペーター・マーク
の資料室を作ったことだ。マーク様はメジャー路線を離れたのでメイナー・レーベル盤が多く,またVoxの音源
がTUXCDやZYX CLASSICなどのレーベルで発売されて情報収集はあまり進んでいない。まぁマイナー・レーベ
ルお陰でCDが安く入手できたのは良かったが・・・・

 さて、1月1日のアクセス・カウンターは2532でした。最近は月当たり300アクセスで落ち着いている。ところ
で,アクセス・カウンターを見ていると土日にアクセス数が減っている・・・・不思議だ???
 先月はややムキになってRhapsody in Kunya を書いたが,今月はマイ・ペースでイキます。


 2001年 1月 1日(月)

 明けましておめでとうございます。ところで何がおめでたいの?素朴な疑問である。20数年前おやじに訊い
たことがある。

 では(と唐突に)21世紀の幕開けにふさわしく夢のCDを列挙!

・ベートーヴェン 交響曲 第9番/フルトヴェングラー/ベルリンPO
 
・ショスタコーヴィッチ 交響曲 第5番/トスカニーニ/NBC交響団
 
・ベートーヴェン 交響曲 第6番 田園/ワルター/ニューヨークP

・チャイコフスキー 交響曲 第5番/ハンス・クナッパーツブッシュ様/ミュンヘンPO
 
・ムソルグスキー/ラヴェル編曲 組曲「展覧会の絵」/クレンペラー/ニュー・フィルハーモニアO
 
・モーツァルト 交響曲 第40番/ムラヴィンスキー/レニングラードPO

・マーラー 交響曲 大地の歌/バーンスタイン/ウィーンPO

・ブラームス 交響曲 第1番/クーベリック/シカゴ交響楽団

・シューベルト 交響曲 第8番「ザ・グレイト」/ペーター・マーク様/パドヴァ・ヴェネト管弦楽団

・ベートーヴェン 交響曲 第7番/スウィトナー/シュターツカペレ・ドレスデン

・ガーシュイン ラプソディ・イン・ブルー/アバド/山下洋輔/ロイヤル・リバプールPO

・ブラームス ハンガリー舞曲第5番/ゆらイバー/関西PO

 この中には市販されたCDがあるが録音クオリティーが著しく低かったり,演奏者の実力が発揮されてない
ので夢のCDとして採り上げた。さて実現するのはいくつあるか?2101年このホーム・ページで発表します。



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