Rhapsody in Kunya

 


 2001年11月27日(火)

 最近,体調が悪い・・・・このRhapsody in Kunya を含めネタの更新が滞っています。こんな単文を書くの
にミス・タイプばかりです。巨人の星をご覧になった方はわかると思いますが大リーグ養成ギブス1号,2号
を付けている感じでしんどいです。まぁ、本当に付けた人はいないが・・・・・

 そんな訳で体調が回復したら再開します。


 2001年11月22日(木)

 昨日、コンサートに行ってきた。ダニエル・ハーディング&ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンである。

 演目は ベートーヴェン:「プロメテウスの創造物」序曲
      ブリテン:夜想曲 Op.60 テノール:イアン・ボストリッジ
      ブラームス:交響曲 第3番 ヘ長調

 感想は過剰書き

 *仙台電力ホールは恐ろしくデッドなホールであった。
 *「プロメテウスの創造物」序曲,鋭角的な強弱の付けたか印象に残る
 *フレーズの最後は余韻を残さすスパッと切っている
 *コーダーではググッと盛り上がる。全体的には如何にも序曲といった趣だった
 *馴染みのないブリテンの夜想曲だが一番印象に残った
 *イアン・ボストリッジが表情を込めて歌う姿を見ると生の醍醐味を感じた
 *ブラームスは対抗配置に変更していた
 *鋭角的な強弱の付けたか、間の取り方、フレーズをスパッと切るのが印象に残る
 *最終楽章はかなり速いテンポだった
 *小編成のオケながら全合奏のフォルティシモはオーディオでは味わえない迫力があった
 *結局,超デットなホールに馴染めなかった
 *携帯をチャラチャラ鳴らすヤツ,フライング拍手,フライング・ブラボーはいなかった
 *ダニエル・ハーディング氏は写真で観るより髪が長かった
 *黒髪チェロ弾きのお姉さんは私好みだった
 *そのお姉さんの衣装,青い上着,黒いズボンがカッコよかった


 2001年11月18日(日)

 レンタル・ビデオ屋で銀河鉄道999(劇場公開版)を借りてみた。この劇場公開版は私がガキの頃,観て
えらく感動した作品である。約20年ぶりの再会である。あの頃の感動が蘇るだろうか???

 うゃ〜,まさしく超特急のぞみ!?じゃなかった超特急999号である。ストーリー展開がとてつもなく速い!?
各星でのエピソードもアッという間!?特に母親の敵「機械伯爵」との対決では機械伯爵の弱いこと弱いこと
こんな弱いヤツが親の敵!?マジンガーZの最終回を思い出したのは私だけか?

 しかし、作品の根底テーマ「永遠の命」についてはジ〜ンとさせられた。


 2001年11月17日(土)

 ピットの青年ピットマンは「お客さんがタイヤ交換をしたとき舐めちゃったんですか?」と聴くのである。私
「そうです」と答えると「ナットが回らないですよね」と言うのである。
 「だから金払ってプロに頼んだじゃい!受付で言ったやろ!」と言いたいのを押さえて「打つ手ないの?」
とやさしくお願いした。すると青年は先輩の相談に行った。先輩ピットマンはナットの状態を見てひと工夫
見事ナットを外した。
 私は「バキャロー威かしやがって!簡単に外れたじゃないか!」とは言わず「これでOKですね〜!」100
ワット電球のように明るく言い放ち,その場を和やかにした。

 そして「私ってイイヤツ」とひとり悦に浸っていた・・・・オイオイ


 2001年11月16日(金)

 先日、車のタイヤ交換をした。この地域では雪に備えて冬場はスタットレス・タイヤに交換するのある。近
年の暖冬傾向で仙台市内に雪が積もるのは年2,3回であるが・・・・
 今年も金銭的に苦しいので自前で交換することにした。しかしである!右前輪のナットが堅く,しかも「ウ
ニュ」と鈍い感触が伝わってきた。見るとナットの角が潰れている。「遺憾である」素人の手に負えない。
 近くの大手カー用品店YHに持ち込む。ナットが逝っちゃたことを伝えタイヤ交換を依頼した。しばらくすると
ピットまでお呼び出しを受けた。


 2001年11月15日(木)

 生のコンサートに出陣すべくチケットを購入した。

 今年の5月に聴く計画があったが、私のミスで聴き逃してしまった。詳しくは5月号へ

 おっと,購入したチケットはダニエル・ハーディング&ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン仙台
公演である。しかし!ここでネチネチ言わせてもらう。私は奮発してS席(\7000)を購入したが・・・・前から
19列目でした。私の感覚ではS席と呼べるのは前から10列目までではないだろか?
 しかもだよ。今回のプログラムはブリテン:夜想曲があるんだ!?オケの伴奏とテノールの独唱の楽曲
ですよ!?19列目までちゃんと響くのだろうか?仙台電力ホールはどの席でも音響効果がすぐれている
のだろか?

 S席のSは確かスペシャルのSですよね。19列目はホントにスペシャルなのだろうか?答えは21日に
明らかになる・・・・


 2001年11月13日(火)

 なんだ,かんだ,あれや,これや,と言いつつヴァント/ベルリン・フィルによるブルックナーは8番を買っ
てきた。そして聴いた。早速ヴァント氏にテレパシーを送った。

 ヴァントさん,こないだは茶化してすまなかった。脱帽です。帽子でも甲でも鎧でも脱ぎましょう。パンツは
ご勘弁を・・・・。正直に申しまして,私はあなたの作り出す厳しい音楽に,お気軽軟弱リスナーの私は近寄
りがたいものを感じていました。私はもっと親しみのある,やわらかな音楽が好きです。しかし,あなたは私
の好み,嗜好の問題を些細なものにしてしまった(以下省略)。


 このブル8ではベルリン・フィルが鳴りに鳴っている。特にティンパニとブラス・セッションは地響きのように
轟く。しかも,これほどの大音響に拘わらず,うるさくなくブルックナーの世界に身を浸せるのである。


 2001年11月10日(土)

 某所(彼ら,彼女らの名誉のため場所は伏せておく)を訪れると数人の人たちがビデオデッキを囲んで
いた。話をうかがうと接続がうまくいかないらしい。2台のビデオデッキと1台のテレビを接続してビデオは
双方ダビング可能にしたいそうだ。問題をややこしくしているのが1台がモノラル・ビデオ・デッキ,もう1台
はステレオ・ビデオ・デッキ,テレビはモノラルといった機種の組み合わせにあるようだ。
 私がしゃしゃり出て接続を行った。【 答えイッパツ 】双方ダビング可能な接続が実現した。
 そして私はビックリするくらい感謝された。曰く「 天の助け! 」 ・・・・私はまだ死んでいない!?

 話をうかがうと彼ら,彼女らは接続に数時間要してうまくいかなかったそうだ。ところが私は説明書を見
ないで,迷うことなくサクサク数分で接続したので不思議でたまらないらしい。
 
 電気信号の流れを考えれば簡単なのだが・・・・それとも私の特殊能力か!? 


 2001年11月 7日(水)

 先日4件ほどCDショップを巡った。その内3件は宣伝用BGMにブルックナーの交響曲 第8番が流れ
ていた。新譜のヴァント/ベルリン・フィルのRCA盤である。ここ数年ほぼ年1枚ペースで発売されるベル
リン・フィルとのブルックナーは発売されるたびにその評判(盤)はうなぎ登りの感がある。
 しかし90歳近いヴァントが現役でいる期間は10年に満たない。なんともさびしい限りである。

 不謹慎な話であるがヴァントの死後クラシックCD市場で話題を振りまく指揮者は誰になるだろうか?
サヴァリッシュ?スクロヴァチェフスキー?C・デイヴィス?ベルグンド?ヤルヴィ?

 またまた、不謹慎な話であるがヴァントは死後,急速にその評価を落とすだろう。今はメーカー主導の
過剰なお祭り騒ぎに過ぎない。10数年後にはヴァントの全盛期は’90年代前半であったと言われるだ
ろう。根拠のない勘であるが・・・・


 2001年11月 6日(火)

 先日、中古PCショップに立ち寄ると手頃な価格のスキャナーがあった。しかも,私の使っているNEC 
PC−9821シリーズにも対応していると表示されてあった。すぐさまゲットして我が家に持ち帰った。
 PCに接続しようとすると付属のケーブルが合わないことが判明!PCショップに行きケーブルを購入して
接続完了!しかし、スキャナーは動かなかった・・・・あれこれ調べて3時間、衝撃的事実にブチ当たった。
なんとこのスキャナー,プリンターボードに接続するタイプだったのだ!?中古PCショップの札にはSCSI
接続と書いてあったのでSCSIインターファイスまで買ったのに(怒)!
 しかも手元にあるケーブルでは接続できないので再度PCショップへ。ところが適合するケーブルがない!?
変換プラグの組み合わせを考えると頭がゴチャゴチャになる。家に戻りPC,スキャナー,プリンターのコネク
ターの形状を確認。再々度PCショップへ。結局PCとスキャナーの接続はプリンターケーブル,変換プラグ,
変換ケーブルの組み合わせになった。

 古いパソコンユーザーは難儀である。そんな苦心の末このHPにもついに画像が登場したのだった。


 2001年11月 5日(月)

 翌日、会社の同僚に昨夜の恐怖体験を話したところ「何故ホテルに連れ込まないのだ!」と言われた。
 これって「喰わぬ据え膳・・・・」と言うのだろうか???ところで喰われるのはどちらになるのだろ???

 あれから10年が過ぎたが私の耳には、あの一言が離れない・・・・


    「 離 さ な い か ら ね ・・・・ 」


 2001年11月 4日(日) 

 私は恐怖した背筋が凍るとはこのことである。他人から見たらはアツアツ・カップルに見えたかもしれない
が私は凍っていたのだ。その後、女は何も喋らなかった・・・・しかし私の頭の中は「離さないからね・・・・」
不気味な響きが木霊していた。
 改札を抜けしばらく歩くと女の腕を握る力が弱まっているのを感じた。チャンス!私は女の腕を振りほどき
その場から逃げ出した。こんなに真剣に走ったのは久しぶりだった。念のため、わざわざ家とは反対方向に
走り遠回りをして家の戻った。そして、その晩は眠れなかった・・・・


 2001年11月 3日(土)

 私はふざけて「もうすぐだったら、そんな暇ないじゃん!?」と答えた。

 しかし、これはウケもしなければ,すべりもしなかった。女は何かに憑かれように私を見つめていた・・・・ 
私はその鋭い視線に恐怖を感じた!そしてヤバイ振興宗教信者のような様子に私は焦った!しかも!?
私はさっき下車する駅名をしゃべっているのだ。その後も女は私に何かしら話しかけたが私はその女の異
様な雰囲気を恐れてはぐらかす答えに終始した。

 やがて私の下車する駅に到着すると女は私といっしょに下車して私の腕を胸で抱え込むようにつかんだ。

  そして一言 「 離さないからね・・・・ 」


 2001年11月 2日(金)

 あれは10年ほど前・・・・私が浦和市民をやっていたときのことです。家に帰ろうと電車に乗り込んだとき
でした。その日は大学のOB会があり、そのとき配布された冊子を車内でパラパラと見ていると・・・・視線を
感じたのです。

 どうも隣の20代前半(と思われる、やや胸の大きい)の女性が私の手にした冊子をのぞき込んでいるの
です。やがて女は冊子について2,3質問をはじめた。そして、女と私は2,3話題を変えて話をしたのです
が・・・・女は私にこんな質問をするのです。

 「もうすぐこの世の終わりだとしたら・・・・あなたは誰に何を言いますか?」


 2001年11月 1日(木)

 先月はペーター・マークの資料室 ディスコグラフィーに関して有力な情報を得て2ヶ月ぶりに更新をしまし
た。実はもうネタ切れ!?と思っていました。

 11月 1日のアクセス・カウンターは6134でした。来館者のみなさんありがとう。

 それでは11月号のスタートです。 




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