Rhapsody in Kunya


 2002年 8月 7日(水)

 パソコンの故障、修理断念、パソコン購入とあわただしい日々であった。金銭的にキビシー状況であるが
思い切ってパソコンを購入した。パソコンを購入するに当たって次の条件を満たすモノを求めた。

 1:省スペース・ディスクトップ型
 2:本体のみ購入
 3:横置き可能
 4:DVD−ROM搭載


 残念ながら、すべての条件を満たす機種は見当たらなかった。パーツを組み立てるパソコンも考えたが古い
周辺機器やソフトのことを考えてパスした。購入に当たって障害になったのは 2:本体のみ購入 3:横置き
可能 
の条件であった。私が見た範囲ではSOTEC社以外必ずディスプレイがセットになっていた。店員に本体
のみを希望しても無理であった。購入してすぐにディスプレを中古販売店に売る方法も考えたが、パソコン周り
のレイアウトを変更しての 3:横置き可能 の条件を諦めることにした。

 今、現在はキーボードのタッチが変わり、OSもWindowsXPに変わり、戸惑いの日々を送っている・・・・


 2002年 7月18日(木)

 視覚効果といえばコバケンの指揮ぶりも曲に負けていない。音楽に没頭して「ん〜〜〜」と発せられる唸
り声!客席を指さしたり,天上を指さしてオケを煽るボディーアクション!飛び散る汗!もう圧倒されるばか
りです(たいへん大きなお世話&不謹慎な発言ではあるが,あれだけ激しい指揮ぶりでは朝比奈先生のよ
うに長生きできませんね,ホント大きなお世話ですが・・・・)。
 ついでながら,ソプラノのお姉さんにコバケンの汗が顔に直撃!こっそり拭う姿は微笑ましかった。

 そんな訳で今宵のコンサートはCD再生では味わえない生コンの醍醐味をたっぷりと味わいました・・・・で
最後の最後,仰天する出来事があった!?「え〜、本日はみなさま,お忙しいところ・・・・」あの激しい指揮
ぶりから想像できないマヨッとしたコバケン・トークに「ギョ!?」驚きと発見が多いコンサートであった・・・


 2002年 7月17日(水)

 第2楽章は緩やかな楽章である。第1楽章であれほど荒々しく怒涛の調べを轟かせたオケが第2楽章
では穏やかなやさしい音色に変化にしている。さらに第3楽章になるとまたオケの音色が変わる。「お〜ぉ、
まさしくオケは人間が奏でる組織なんだ!」
自分の感性の豊かさに酔いしれる私であった。

 第4楽章になるとアルトの独唱が入ります。舞台のお姉さんがこちらを見て朗々と歌うお姿,目と目が合っ
ちゃってもうドキドキ。

 いよいよ音楽は第5楽章に突入します。合唱団がいっせいに立ち上がる迫力にはギョとしますね。また、
この曲はバンダ(特殊効果を狙ってステージ以外のところで楽器を演奏すること)を多用しているようで、
オケマンがこっそり舞台から消えたり現れたり,さり気なく動き回る姿は微笑ましかった。最後!クライマッ
クスでバンダ別働隊が舞台に登場したときは「うぉぉ,こんなに居たのか!(特にホルン軍団)」もうビックリで
す。そう!マーラーの復活は視覚効果をビシバシ狙った曲だったのだ!


 2002年 7月16日(火)

 オケの第一音はコバケンの鼻息だった!そして第2音は唸り声!?それか第3音として弦楽の降下音が
発せられたのであった!私自身コバケンの唸り声は予想していたが先制パンチには驚いた!
 私の近くのお姉さんは、この展開に思わず吹き出した!しかし格式高いコンサートホール,演者はすぐ
そばのロケーション必死に笑いをこらえる。私は見た!大和撫子の奥ゆかしさを!!

 激しく荒々しい第1楽章が終了した。作者のマーラーはここで5分以上の休憩を指示している。しかし現在
は休憩ナシで続ける場合もある。今回はどうするのか?

 息を呑んで様子を伺うとコバケンは指揮台を降りてオケの面々と話をしています。隣の友人と「どうやら休
憩を入れるようだ。くつろぎ・タイムだね」
と話した。するとホールの人々は思わず吹き出した!どうやら「く
つろぎ・タイム」
を気に入ったらしい。しかも音響効果の優れたコンサート専用ホール「くつろぎ・タイム」
言はホール全体に鳴り響いた。
 しかしココは格式高いコンサートホール!人々は必死に笑いをこらえていた。私は見た!大和撫子&大和
男児の奥ゆかしさを!!


 2002年 7月15日(月)

 コンサートに行って来た。演目はマーラーの交響曲 第2番 「復活」 指揮は小林研一郎(以下、コバ
ケンとします)。

 普段はCDのお世話に、なりっぱなしである私だが,今回は8列目という良い席が確保できた!きっとC
Dでは味わえない生コンの魅力をたっぷり味わえるだろう・・・・期待は高まる!その高まりは開場(開演で
はない)30分前に会場に到着し付近を散策したり,そそくさと並んだり,etc これもコンサートの営みの一
部である!と自己満足に浸っていた・・・・ホールに入り深々と椅子に身を沈ませ周囲を見回す(これもコン
サートの営みである!)。

 生コンならではの味わいといえば,例えば拍手の中,指揮者が舞台に登場する。やがて指揮台に登り
指揮棒を構える・・・・2千人弱の聴衆が固唾を呑んで見守る緊張感!やがてオケから第一音が発せられ
る瞬間!たまりませんネェ〜!

 しかし、今回のコンサートは少し違っていた!?


 2002年 7月11日(木)

 精神衛生上好ましくない緊張することになる!?ひぇ〜〜!

 え〜ぇ〜!行って来ましたョ!ケーサツに!・・・・幸いなことに今回の受付は物腰やわらかな方が窓口
担当でした(つまり前回は強面だった??)。

 緊張のあまり,そのときは気づかなかったが車庫証明の費用2,600円。現在の物価水準を考えると高
いと思いませんか?

 自動車保管場所証明申請手数料   2,100円;申請書はすべて私どもが書くのですよ!
 自動車保管場所標章交付申請手数料  500円;あのシールが500円ですか?

 手数料というけど,どんな手間がかかっているの?そして2,600円はその後どんな使われ方をするの?

 相手は警察だ!そんなヤボなこと・・・・きっ・・聞けません。


 2002年 7月 8日(月)

 引っ越しを行って2週間弱ようやく部屋の片付けが一段落した。押入に押し込んだ荷物や細々した整理
はまだあるが,ここで区切りをつけるのが精神衛生上好ましいと思う。

 今日は車庫証明の件で警察署を訪れた。警察署の中は何故だか緊張してしまう。前世でなにか因縁が
あったのだろうか?某雑誌の記事によると某人気アイドル・グループの構成員(メンバー)も前世に因縁が
あったらしい・・・・申請書類を見ると再度出直しが必要であるのが見て取れた。軽自動車協会での書き損じ
の件があるので家の持ち帰ってじっくり書くことにした。

 ということは再度警察署を訪れ精神衛生上好ましくない緊張することになる!?ひぇ〜〜!


 2002年 7月 6日(土)

 書き損じ修正だらけの申請書を提出してしばらく経つと名前が呼ばれた。
「車両番号の記載に誤りがあ
るので書き直してもらいたい」
といった内容であった。私は「車のナンバーを見て書いたので、これが正し
い」
と主張したが・・・・窓口のお姉さんは同じ内容を繰り返した。書き損じが多いから信じてもらえないか?
??私が再度
「これが正しい」と主張するとで「お待ち下さい」といって怪訝そうな顔つきをした。

 しばらくすると,おじさん職員が登場した。私は間髪入れず車まで案内して私の主張の正しさをアピール
した!するとおじさんは
「ボンネットをあけて下さい」と申し出た。ボンネットを開けると車台番号を確認して
ようやく私の主張の正しさを認めてくれた。

 つまり私の車は間違った車両番号で登録されていたのである。そんな訳で住所変更の手続きは思わぬ
展開となり思わぬ時間を要したのであった。


 2002年 7月 5日(金)

 アドバイザーのお姉さんが居れば心強いが,そのような人物は居るはずはなく「間違ったら書き直したら
いいんじゃい!」
と開き直り申請書に記入を始めるが早速,宮城を宮地と書き損じてしまった!その日は
蒸し暑い日であった。ブワァーと汗が噴き出した・・・・所有者,所有者住所は書く損じなくクリアーしたが使
用者,使用者住所の覧でまた書き損じを演じてしまった・・・・悪循環である。

 私は申請記入を一時中断して軽自動車協会を後にして,住民票の交付を受けるため区役所へ向かった。
住民票は滞りなく交付を受けることができた。

 家に戻り昼飯を食べ気を取り直して再び軽自動車協会へ向かった・・・・


 2002年 7月 4日(木)

 引っ越してから1週間が経過した・・・・未だに荷物整理が終わらない状態である。広い部屋から狭い部屋
への移転の苦しみを味わっている。

 引っ越となれば各所に住所変更の手続きをしなければならない。先日、宮城県軽自動車協会へ出向き住
所変更の手続を行った。窓口の方にその旨を告げると,開口一番「印鑑と住民票はお持ちですか?」と訪ね
られた!「うぎゃ!?じゅうみんヒョーは持ってません!」と私はうっかり正直に答えてしまった・・・・すると「用
紙だけ購入なさいますか?」
と畳み掛けてくるのである。またしても私は同意してしまった。更に「あちらのカ
ウンターに見本がございますので、よくお確かめになって書き下さい」
と言ってカウンターに促された。

 終始,軽自動車協会のペースであった。タウンターの見本と申請用紙を見くらべるが,どうも書き方がのみ
込めない・・・・


 2002年 7月 1日(月)

 個人的な話ですが(いつも,そうですが)先月はいろいろ忙しかったです。まずは部屋捜し,引っ越し,セ
ミナー参加,FIFAワールドカップTV観戦・・・・荷物整理はまだ終わってません。

 その影響はHPの更新に如実に現れました。

 7月1日のアクセス・カウンターは9348でした。来館者のみなさまありがとうございます。それでは7月号
のスタートです。


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