Rhapsody in Kunya


 2002年 9月29日(日)

 先日、東京へ行ってきた。訪問の目的は残念ながら公表できない、つまり秘密任務なのである。秘密任務であるが何
故かおみやげを買うことにした。東京駅中央通路の常時設営おみやげコーナーを物色しているを「東京のお土産に
またまご
はいかがでしょうか?」とても麗しい声が聞えてきた。

 見ると私の好みの丸顔ぽっちゃり系のお姉さんが売り子をしている。その一途な姿はとても美しかった。私は何の迷い
もなく
ごまたまごの購入を決意した。

 売り子のみなさ〜ん!あなたの努力は無駄ではありません!私のような純粋な人が世の中にはたくさん居るんですよ!?


 2002年 9月24日(火)

 100円ショップ・ダイソーを訪れるとコミックが並んでいた。その中に「ビバ!柔道愚連隊」があった。かつて私は熱心に
読んでいた作品で素直に「なつかし〜い」と思い思わず購入していた。この作品は10年くらい前に少年マガジンで連載
されたギャグ満載柔道マンガなのだ。私の記憶ではかなり好評を博していた。

 しかし、この作品は何故か!?中途半端な展開を経て唐突な最終回を向かえ連載が終了する。

 私は漫画の世界に詳しくないがネタが尽きたのか?編集者と対立して嫌気がさしたのか?私は不可解であった。漫画
の世界ではよくあるのでしょうか???


 2002年 9月22日(日)

 《特別寄稿》

 400mを駆ける〜あるスプリンターのラストレース(終)


 コーナーを回っているとイン・コースの選手が距離を詰めてくる(コレだからアウト・コースは嫌なんだ)。第4コーナーで
6コースの小林君が前に出た!ホーム・ストレートに出る!前方の選手を数えると私は7番手だった。6番手につけてい
る小林君との差は約1m!
 越後屋は小林君を追うべくペース・アップを図った。しかし差は縮まらない残りの距離数がどんどん少なくなる。残り40
m!小林君のペースが鈍った。残り20m小林君と並んだ、抜いた!6位(入賞!?)越後屋はガッツ・ポーズでゴールし
た。因みにガッツ・ポーズでゴールしたのは彼にとってコレが最初で最後だった。ゴールして同僚たちのもとに行くと同僚
たちは5位と言っている。どうやら1レーンの佐藤君を抜いたことに私は気づいていなかった。

 予選落ちの連続だった越後屋は最後の最後のレースで5位入賞を果たして競技者生活の最後を締め括ったのだった。
今、巷では貴乃花の復活劇が注目を浴びている。越後屋の復活劇も内容的にそれに劣らない。違いは世間の注目度な
のである。


 2002年 9月21日(土)

 《特別寄稿》

 400mを駆ける〜あるスプリンターのラストレース(10)


 不利な条件ではあるが8レーンの長尾君をペース・メーカに定めた。気温14度、風速3〜4m気象条件は悪い。全選手
記録より勝負に徹するだろ。「目標は6位入賞!」

 「位置について」ついにラスト・レース号令がかかった。「よ〜い・・・・バ〜ン」

 8レーンの長尾君との差は徐々に縮まる。入りのペースは予定とおり、パック・ストレートは長尾君とペースを合わせる。
バック・半ばで3,4レーンの選手(優勝候補)が並んできた。予定ではバック、ストレートは長尾君のペースに合わせ第3
コーナーで抜くつもりだったが越後屋はここでペースアップを図った。第3コーナー入り口で長尾君と並んだ!


 2002年 9月20日(金)

 《特別寄稿》

 400mを駆ける〜あるスプリンターのラストレース(9)


 決勝で6位以上は入賞とされ賞状が授与される。8人で争われる決勝、2人抜けば入賞である。予選のタイムは7番目
入賞が狙える位置である。決勝に向けてウォーミング・アップを始めるが予選の疲労が残っている。この日は気温14度と
寒い天候で体が冷えないように、また予選の疲労が取れるように念入りにウォーミング・アップを行なった。

 召集場に行くと閑散としていた決勝進出者は8人のみ、予選のような大所帯とは違うこの様子が懐かしくあった。

 越後屋は7レーンであった。因みに決勝のレーン決定は予選のタイム上位4人が3〜6レーンの間で抽選を行い。残り
のレーンは予選タイム5位以下で抽選を行なう。越後屋は全体のレース展開を観てペース配分を決めるスタイルなので
レースの様子が把握できないアウト・コースは不利な条件になるあった。


 2002年 9月19日(木)

 《特別寄稿》

 400mを駆ける〜あるスプリンターのラストレース(8)


 スタンドに戻ると同僚がたちが「決勝に行けるかもしれない」と言った。「バカなあんな低調な記録で決勝なんて」
しかし、同僚たちの話では「1組、3組の1位の記録が私より悪い」と言うのである。 トラックを見ると4組がレースをし
ていた。レースが終了して4組の記録が発表されると同僚たちは「行ける!」と言った。越後屋はまだ信じれない気持ち
だった。

 やがて決勝進出者がアナウンされた。越後屋の名前が呼ばれた間違いない決勝進出である。

 学生生活で決勝進出が一度もなく一番練習が充実してないシーズンでの決勝進出!?意外な展開驚くほか無かった。
しかし、競技者生活最後のレースを決勝レースで締めることができる。越後屋のモチベーションは上がった。


 2002年 9月17日(火)

 《特別寄稿》

 400mを駆ける〜あるスプリンターのラストレース(7)


 越後屋の予選は第2組で7レーンだった。「予選突破には2位確保が目安となる」これがラスト・レースと思いスタート・
ラインに立った。「位置について・・・・よ〜い・・・・バ〜ン!」号砲が鳴った。

 越後屋は早くも第1コーナーで8コースの選手を抜き去りバック・ストレート疾走した一人旅の様相である。しかし3コー
ナー手前で3,4コースの選手に並ばれた!コーナーを回ると3,4コースとの差がドンドン開く、されにイン・コースの選手
がひたひた追い上げてくる(この展開は正直気分が良くない)。コーナー出口で5コースの選手にも抜かれた・・・・ホーム・
ストレートでは1位2位争いの選手とは20メートル近い大差があり、3位の選手とは5メートル近い差であった。越後屋は
ホーム・ストレートを全力で走ったが結局、差は縮まらず4位でゴールした。

 「終わった・・・・怪我に泣かされたシーズンであったが精一杯やった」越後屋はすがすがしい気分であった。


 2002年 9月16日(月)

 《特別寄稿》

 400mを駆ける〜あるスプリンターのラストレース(6)

 秋のシーズンは最終戦10月12日の東北学生選手権に絞り込んだ。出場は練習不足が拭えないが得意の400Mにし
た。全力疾走の練習は9月になってからだった。最初は30Mから次は50Mそして100Mと肉離れの再発を怯えながら距
離を伸ばした。競技会1週間前には400Mを試走した。今年の練習量を考えれば良いタイムだった。「これならギリギリ
予選通過が出来るかも」
そんなささやかな希望をもった。

 いよいよ10月12日競技会当日である。400Mのプログラムを見て驚いた。今大会は準決勝はなく予選→決勝の2レー
スになっていた。予選は4組あって予選通過は各組1位と2位以下タイム順で4人が決勝に出進できる事実上タイム・レー
スとなっていた。

 「これは厳しい予選!競技者生活最後レースは予選落ちか!」


 2002年 9月15日(日)

 《特別寄稿》

 400mを駆ける〜あるスプリンターのラストレース(5)


 越後屋は4年生になった。学生生活そして競技者生活最後の年である。冬季練習は足の負担を少なくする練習方法に
変えた。春先の記録会、競技会に出場したが記録はやや低調であった。

 異変は5月上旬に訪れた右太ももの軽い肉離れであった。走ると激痛が走る。5月の東北インカレは欠場した。6月に
練習をを再開したが3週間後にまた同じ場所を痛めた。6月の東北学生総体も欠場した。

 競技者生活最後の年なのに故障で春のシーズンは欠場の連続だった。彼は夏はじっくり故障を癒し秋のシーズンに賭
けた。6〜8月まで全力で走る練習はなくジョギングと基礎練習に徹した。


 2002年 9月12日(木)

 《特別寄稿》

 400mを駆ける〜あるスプリンターのラストレース(4)


 課題は予選、準決勝、決勝を走りぬくスタミナ!冬季練習にはランニングを取り入れスタミナ強化をはかった!3年生に
なった越後屋は充実した冬季練習の成果に満足していた。自信満々でシーズンを迎えるハズだった。

 しかし彼の足に異変が起こった!左ヒザの痛み!次は右足の裏の痛み!特に右足は激痛が走った!歩くのが困難な
ほどの痛みだった。ヒザは疲労性の剥離骨折。右足は左ヒザをかばったための腱鞘炎だった。

 故障のため記録は振るわなかった。秋のシーズンは練習不足を考慮して100Mに出場した。自己ベストを記録したが
予選敗退であった。


 2002年 9月 9日(月)

 《特別寄稿》

 400mを駆ける〜あるスプリンターのラストレース(3)


 越後屋のモチベーションは燃え上がった!陸上競技の専門書を読み勉強した。独自に練習メニューを組み立て実践し
た。苦手のウェート・トレーニングも自らに課した。200Mでは自己ベストに迫るタイムを記録した。

 しかし、得意中の得400Mでは壁にぶつかっていた。予選は余力を残し流して予選を通過できるが準決勝での走りは
いつも精細を欠いていた。冬季練習をサボったツケだった。
 スタミナ不足のため予選の疲れを回復しないまま走るので流して走った予選のタイムより全力で走った準決勝の方が
遅いのである。 


 2002年 9月 8日(日)

 《特別寄稿》

 400mを駆ける〜あるスプリンターのラストレース(2)


 しかも、この陸上部は学生を指導する顧問の先生もコーチもいない。学生の自主練習または先輩の指導の下の練習
だったのである。高校時代とはまるで違う練習環境に越後屋はおおいに戸惑った。

 やがてシーズン・オフになると越後屋の陸上に対するモチベーションは徐々に失われ、冬にはまったく練習をしなくなった。

 春2年生になった越後屋はあるキッカケで再びモチベーションを取り戻す。それは友人との何気ない会話だった「陸上っ
て走ってばっかりで何が面白いんだ?」
越後屋は目を輝かせた答えた「一位でゴールのテープを切るのが面白い
んだ!」


 2002年 9月 7日(土)

 《特別寄稿》

 400mを駆ける〜あるスプリンターのラストレース(1)

 
199?年10月12日東北学生陸上競技選手権大会400M決勝。7コースに立った越後屋選手は幸福感に満ちていた。
競技者生活最後のレースを決勝レースで締めくくることができる。この最後の1本を全力で走りぬけるだけだ・・・・大学生
生活4年間の想いが次々に駆け巡った・・・・

 インターハイ出場経験をもつ彼は希望と期待を胸に大学の陸上部に入部した。・・・・入部して驚いた!練習に参加するの
は自分を含めてわずか3人!?4年生の村上、2年生の正木、そして自分・・・・後で知ったのだが前年に陸上部は対立、
混乱、反発があり大量の退部者が出ていたのだ!


 2002年 9月 4日(水)

 相変わらず残暑がキビシー。テレビ録画しておいた年恒例の鳥人間コンテストを観た。今年の大会は滑機部門は風の
状態がよく高記録が続出した。一方人力プロペラ機部門は風の影響で機体コントロールが難しく意外と記録が伸びな
かった。今年から正式部門となった人力ヘリコプター部門は「???」私の考えでは規格変更が必要だと思うが・・・・
 昨日のプロジェクトX(NHK)は面白かった。ワープロの開発物語だった。我々が日常当たり前に使っているかな漢字変
換の仕組み、プロジェクトXを観ていると発想の源は日常に眠っていることが発見できる。なか漢字変換の発想(一部)が
カードマジックが生まれたなんて面白すぎるぞ!


 2002年 9月 1日(日)

 先月はついに10000アクセスを突破しました。アクセス・カウンターの精度の問題やら必ずしもトップ・ページにリンク
が張られている訳でないのでひとつの目安ではあるが・・・・
 そんなことより、最近、集中力の低下に悩まされている。10000アクセスを突破に何か記念行事を行なおうと思ったが
アイデアが浮かばない、それどころかホームページ更新のネタが思い浮かばない。ある人に告白したところ「夏バテ」説
を唱えられた。

 こっ、これが「夏バテ」と言うのか!速く来い来い秋の風である。


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