Rhapsody in Kunya


 2003年 3月31日(月)

 ミルコ・クロコップが勝った!ボブ・サップが負けた!とっても、とっても、うれしい!!でもTV放送でのサップ贔屓に
は驚いた!?正直に言ってサップには負けてほしかった。もちろんサップの身体能力は並外れている。でも、やっぱり
コツコツとトレーニングと経験を積んだ者に勝ってほしいよな!

 ミルコの勝利はスカッとしたよな。サップは経験不足を露呈した。ミルコのミドル・キックに明らかにビビッていた。顔
面ガラ空き距離を詰めてしまった。
 このスキにミルコは素早く反応した。それもキックでなくパンチで応戦した。右のフェイントから左のストレートを打ち
打ち込んだ。私はこの左の速さに驚いた。TVでスロー再生されるまで何処にヒットしたのか判らなかった!

 と言っても、これからサップが経験を積み、技術を身につけたら、どうなるのだろー???こっ、怖い!


 2003年 3月28日(金)

 浮世満理子/著書 「あなたも20代、30代で心理カウンセラーになれる」 BABジャパン

 この本では著者がカウンセラーを志し、その行動が書かれている。さらりと書かれているのがいい。そして阪神淡
路での活動が書かれている。カウンセラーとしての限界も書かれている。でも限界イコール=ゼロではない。何か
役に立つことがあること知った。

 この本はカウンセリングに興味をもった人向きに書いてあると思う。理論や技法は話の流れの中にさらりと触れる
だけである。専門書的でないように思う。ぼくが思うにカウンセラーを志し、だい一歩を踏み出した人、カウンセラーを
目指したけれどカベにぶつかっている人。そんな人を「勇気づける」本だと思う。

 また、読み返すつもりだ。きっと何か発見があると思う。そんな気がする。


 2003年 3月27日(木)

 浮世満理子/著書 「あなたも20代、30代で心理カウンセラーになれる」 BABジャパン

 1年以上前から気になる本であった。最初に見たのはある雑誌であった。表紙はあたたかな笑顔を魅せる女性で
あった。よく訪れる書店で見つけたことがある。しかし、最近は見なくなった。でも気になる存在だった。

 浮世満理子〜名前からの不思議な魅力を感じた。雑誌の宣伝文にはTVにも出演しているそうだ。でもぼくは観た
ことがない。浮世という苗字は聞きなれない。少なくともぼくにとってははじめてだった。

 東京を訪れたとき八重洲ブックセンターにあるかもしれないと思った。捜したらあった。うれしかった。すぐに買った。
そして帰りの新幹線の中で読んだ。全部は読めなかった。半分ほどだった。そして買ってよかったと思った・・・・


 2003年 3月26日(水)

 ビデオに録画していたF1中継を観た・・・・正直に告白します!

 若いタレントが出演していたが何ですかあれは?「うあ〜ぁ」「キャー」「うぉ〜」お前は叫びに来たのか?それともTV
の仕事で来たのか?

 贔屓のクルサードがリタイアしたこともあり、不快感大さじ1杯であった。


 2003年 3月25日(火)

 気になること・・・・約26人の人々へ 神経症・人格障害・精神病について

 内容は 和田秀樹/著書 「痛快!心理学」/集英社インターナショナル を参考にしています。

 心の病は次の3っのレベルに区分できます。もっとも軽いのが「神経症レベル」もっとも重いのが「精神病レベル」
で、その中間が「人格障害レベル」になります。
 「神経症レベル」は、その人の理性に問題はありませんし、知的活動も行なえます。症状は心身に現れ自覚的です。
 「神経症レベル」は逆に理性に問題が生じます。自覚症状は希薄ですが他人にはハッキリ異常が認められます。

 さて「人格障害レベル」は説明が難しいので一例を挙げます。もっとも理解しやすいのはストーカーでしょう。極論す
ればストーカーは特定の相手にだけ理性が破綻します。しかし、その相手以外には理性が働きます。


 2003年 3月21日(金)

 少し前ですが精神科医のS女史の話を聴く機会がありました。S女史は映画を観ることが好きなようで精神病を扱っ
た映画を幾つか紹介しておりました。そのときはS女史の熱演の影響で「絶対に観る!」と心に誓ったのですが・・・・
日常生活の雑事に追われついつい先送り先延ばしにしていました。

 しかし観たぞ!「心のままに」(MR.JONES) 監督 :マイク・フィッギス  ’93年

 精神科医のリビー女史(レナ・オリン)と躁鬱病患者のジョーンズ氏(リチャード・ギア)のラブ・ストーリー。

 精神病患者・・・・どうしてもヤバイ人との偏見をもってしまいますが、ジョーンズ氏(リチャード・ギア)は、そんな偏見を吹
き飛ばすGoodなキャラです。躁状態でのトークはおもしろいし、カラッとした振る舞い。屋根から空を飛ぼうとしたり、演奏
会に乱入するなど行き過ぎた行為も何となく許せちゃいます。鬱状態での振舞いは私が力を貸してあげなきゃ!と感情移
入してしまします。

 S女史が患者さんをカワイイ人たちですと語っていたのがバッヒョ〜ンと伝わってきました。


03年 3月20日(木)

 気の短い人は「結局あなたは何が言いたいの?宇野功芳を褒めているの?けなしているの?」とムラムラしている
でしょう。そんな人へ贈る言葉「らぷそでぃって銘打ってあるでしょ!」

 宇野功芳著作選集(1)モーツァルトとブルックナー/学習研究社はおもしろいと書くつもりが、いろいろとイン
スピレーションが湧き上ったのは事実である。いろいろと批判的なことも書いたが、そもそも何処を突付いても埃の
でない文章なんて存在しないし、文章表現力のおもしろい文章はやっぱり読んでいておもしろい。

 しょせんは趣味・娯楽・遊興の世界!好き嫌いで語ることは低次元でない。恥ずかしいことでない。好き嫌いの中
に意味はあるのだ!


 2003年 3月19日(水)

 そのブルーノ・ワルター指揮/ウィーン・フィルによるモーツァルトの交響曲第40番(録音1952年5月18日)のCDを
私はもっている。どの本か忘れたが宇野氏がこの演奏を絶賛していたので購入した記憶がある。

 正直、私はあまり好感がもてなかった・・・・ブルーノ・ワルター指揮のモーツァルトの第40番であればベルリン・フィル
とのライブ盤(録音1950年9月25日)の方がガッシリとした構築感のある演奏で私はこちらを好む。また、ニューヨーク・
フィル盤(録音1953年2月23日)のしっとりした味わい忘れがたい。正直ウィーン・フィルとのライブ盤はキンキンと薄味
な演奏に感じられるのである。

 こんなことは宇野氏の評論に限らず当たり前にあることである。さらに音楽に限らず映画、文学、料理などこんな例は
ゴロゴロしている。


 2003年 3月18日(火)

 本の題名をあげておいて、なかなか本の話題にならなかった・・・・あらためて

 宇野功芳著作選集(1) モーツァルトとブルックナー/学習研究社

 まず目を引いたのは面構え攻撃である。大胆にもショルティ、ハイティンクという指揮者を名指して顔を芸術家らし
くない(ショルティ)、軟弱の極み(ハイティンク)と切り捨てているのである。さすがに今は顔面攻撃は控えているようである。
宇野氏の成長の証か?。

 とはいえすばらしい演奏や優れた演奏家を褒め称える文章にはパワーがある。読み手をグイグイ宇野ワールド引
き込むエネルギーが漲っている。知らず知らずに<そんなにスゲェ〜演奏なら是非、聴きたい!>と思
わせる暗示?催眠?効果もある!

 例えば、ブルーノ・ワルター指揮/ウィーン・フィルのコンビによるモーツァルトの交響曲 第40番 演奏を褒め称
える文章は<そんなにスゲェ〜演奏なら是非、聴きたい!>と思わせる効能抜群である。これだけの
文章を書く能力はそうそうにあるものではない。


 2003年 3月17日(月)

 だからと言って私は宇野氏が間違っている、けしからん!抹殺せよ!とは思わない。私と宇野氏とでは価値が違
うのである。世の中、価値が違う人間はうじゃうじゃ居るのが普通で無理やり価値観を合致させる必要もない。

 価値観の違いを知り、それを認める。それでよいのだ。正しいだの間違いだの言うから争いになる。しかも無益な
争いになる。価値観の違いを知り、それを認める。その前提に立って議論すれば議論が深まり新たな視点から発見
が生まれるのである。


 2003年 3月16日(日)

 もちろん私は宇野氏の評論をすべてよし、100%OKだと言うつもりはない!例えばムラヴィンスキーという指揮
者について

 <彼(ムラヴィンスキー)の音楽に感動し得る人は、自分の耳を信じてよい、けっして、わ
かりやす芸術ではないからである>
宇野功芳/名演奏のクラシック/講談社現代新書 70ページより引用

 私は極めて不快な文章に感じた!それならば感動しない人は耳が悪いわけ?感性が鈍いの?芸術がわからな
いわけ?そんでもって自分は違いのわかる男って言いたいわけ?私はこの一文から宇野氏の思い上がり、傲慢
さ、驕りを感じるのである。

 因みに私はムラヴィンスキーの演奏を聴いて(録音であるが)感動したくちである。


 2003年 3月15日(土)

 評論Aと評論Bは同じ内容を「評論Aでは否定的に」「評論Bでは好意的に」書いてるだけである。では?どちらの
評論が正しいか?

 例えばCDの解説書であれば評論Aが正しいとなる。それは文章を注文した側と読者の要望が合致しているから
である。発注した側と読者が辛口の評論を求めていれば評論Bになり、評論A・評論Bの折衷的な文章の要望があ
ればその様に書く。プロの評論とは様々な状況によって文章を書き分ける能力も必要なのである。

 念のためであるが音楽評論に限らず、巷に溢れる文章には必ずなんらかの制約がある。興味のある方は自動車
雑誌の新車レポートをお読み下さい。

 そんな訳で同じものでも、状況によって好意的になったり否定的になったりするのである。これを言葉だけとれえて
発言に一貫性がないと批判するのは表面的で洞察が足りなと思う。


 2003年 3月14日(金)

 そもそもである。評論家と言えどもまったくの制約もなく自由に書いたり言ったり出来るのだろうか?

 そんなことはありえない。文章なら締め切りがあり、文字数に制限がある。他にも広告主の悪口は慎まなければな
らなし、編集者の方針、読み手をどの対象者にするのか(大衆向けか?マニア向けか?)など様々な制約があるの
が普通だ!

 例えば、こんな評論はどうだろか?

 評論A

 指揮者○○のチャイコフスキーの「悲愴」のライブ録音がは確かに貴重な録音である。しかし演奏は甚だしく不出来
と言えよう。指揮者とオケの呼吸が噛み合ってなくオケのミスが頻発する。指揮者もオケのミスを立て直すのに手一
杯の様子で聴いていて呆れる他なかった・・・・録音もこの年代としては鈍く歪も多い。ハッキリ言って、一般的には価
値の低い録音である。

 評論B

 指揮者○○のチャイコフスキーの「悲愴」の貴重な音源、しかも世界初登場である。演奏は極めて興味深い。リハー
サル不足のためか?ときおりオケの乱れが見られが、その状態から指揮者○○のリードによって演奏を立て直す様
子が伝わってきて一発勝負のライブにかける指揮者○○の指揮ぶり伝える貴重な録音である。録音はこの年代のも
のとしては、良くないのが残念であるが、指揮者○○のライブ録音は少なく「悲愴」は唯一の録音であり指揮者○○を
知るうえで欠かせない録音である。 


 2003年 3月13日(木)

 本を買ってきた。宇野功芳著作選集(1) モーツァルトとブルックナー/学習研究社

 宇野功芳と言うと毛嫌いする人もいるようだが私は好きである。理由は単純明快、文章がおもしろいから・・・・私は
嫌いな人に好きになれ!と言うつもりは毛頭ない。誰にでも好き嫌いはある。

 ところが宇野功芳、嫌いの知人F氏は好き嫌いでなく宇野氏の評論が間違っていると言うのである。

 間違った評論とは何だろう?結局、私はF氏の話が飲み込めなかった。何だかんだといって結局のところ自分と意
見が合わないから間違っている!そんな説明に感じられるのである。もちろん説明はこんなにストレートでなく、いろ
いろとそれらしい理屈は述べている。


 2003年 3月11日(火)

 セミナーに参加してきた。講師のS女史が○○のビデオが参考になります。是非、観てくださいね。凛とした雰囲気
に色っぽさが内在した表現で言われた・・・・生真面目、好奇心旺盛、ノリに弱い私はS女史の言われるまま、S女史
指定とは違うレンタル・ビデオ店を訪れた。

 店内を見渡すとS女史オススメと100%無関係のビデオが目に留まった。私をスキーに連れてって(略称:私
スキ)スキー・ブームの火つけ役となり、その影響で女性用の白いスキー・ウェアが売れ、ゲレンデで無線機を使う輩が
現れ、リフト待ち時間が激増した・・・・

 さて、観た感想は公開から15年近く経過した今でも十分楽しめる内容である。なんといっても軽快でサクサクと流れ
るストーリ展開が気持ちいい。ヘンに捻らず徹底的に単純化したのがよい結果を生んでいる。スキーのカッコよさ、楽
しさも必要以上に伝わってくる。この映画を観てスキーを始めた人の心情も理解できる。そしてスキー技術の習得の難
しさに挫折した人は多いだろう。

 すでに、あれから15年・・・・出演者の中にはすでに故人になられた方もいらっしゃる。さらに独身者が多い気がする
のは気のせいか???


 2003年 3月10日(月) 

 F-1が開幕した・・・・諸々の事情でTV中継は観られなかったが、私が贔屓にしているデビット・クルサードが優勝
をした。うれしい(ワーイ!)

 クルサードの何処が好きかって?もちろん四角い顔! あぁぁ、カミング・アウトしちゃった!

 
顔 で 勝 負 だ ク ル サ ー ド !


2003年 3月 7日(金)

 諸富祥彦/著書 「生きていくことの意味―トランスパーソナル心理学9つのヒント―」 PHP新書

 この本ではヴィクトール・フランクリン、ケン・ウィルバー、カール・ロジャーズ、アーノルド・ミンデル、E・キューブ
ラ・ロスなどの心理学・理論・生き方を紹介して題名どうり「生きていくことの意味」を読み手に説いています。

 私はこの一言になぜか?惹かれました「弱音を吐き、助けを求めるのも、一つの生きる”能力”である-カウンセリ
ングの神様、カール・ロジャーズの生き方に学ぶ-


 私は弱音を吐き、助けを求めることに抵抗していたことに気づきました。気づきのある本はいいですね。


 2003年 3月 4日(火)

 「大きくなったら何になりたい?」

 ガキの頃は身の程を知らずで、プロ野球選手、宇宙飛行士、防衛庁長官などと平気に語るものだ・・・・もちろん子供の
頃の夢を叶えた人もいるだろが・・・・子供の頃「大きくなったら何になりたい?」、こんな題材でよく作文やら絵を書かされ
たものだ。ハッキリ言って私には苦痛だった。

 「大きくなったら何になりたい?」

 「特にありません」
 私の正直な思いだった。

 その頃は「先生みたいに、みんなから慕われる先生になりたい」とゴマをするとか、「ないものはない」と開き直ることが
できず苦しんだ。しかたないので、寿司屋になりたい(正確には寿司職人)とか、警察官とか、苦し紛れにテキトーな嘘を
書いてその場をしのいでいた。

 そして私は気づいた!私の虚言壁の原点を・・・・


 2003年 3月 3日(月)

 海原遊山のオーヘーニズム宣言!〜報道テレビ番組を斬る〜

 先日、某テレビ報道番組を観ていた。司会者、政治家、識者がイラク攻撃の是非について論議していた。この番組
に限らずTV報道を観ているとおおむね。

 日本政府はイラク攻撃について国民と国際社会に明確な態度を示すべき!

 そんな論調であった。しかしである! 明確にすることはホントに大切なのか?

 良し悪しは別として現実問題として外交とは自国の利益確保を最優先にして国々と交渉するとこである。相手もそう
である。交渉ごとであるので我が方の手の内は見せないのが当然である。例えば麻雀にしろ、ポーカーにしろ、己の手
の内を見せないのは当たり前。ポーカー・フェイスという言葉があるようにチャンスでも、ピンチでも涼しい顔をして相手
に悟れらないことが肝心である。

 田原総一郎氏「あなたの話は全然分からない。結局のところ大臣どうなんですか!」と詰め寄られペラペラと本音を
喋ったり、顔色や表情から手の内を悟られるようでは交渉ごとで痛い目にあう。

 現在、日本は中東の国々から石油を多く輸入している。また、様々な意味で日本はアメリカと深い関係にある国であ
る。つまり板ばさみで双方の顔を立て、機嫌を損なわないように立ち振るわなければならないキビシー立場なのである。

 日本は苦渋の決断を迫られて苦しんでいる!

 態度を明確にしないことで、苦渋の決断に苦しむ日本の姿勢が伝わる。日本の苦悩ぶりを国際社会にアピールする
ことは有効な外交手段ではないだろうか?

 注)念のために言っておくが私の発言もTV報道のひとつの見方であり良し悪しの問題ではない。因みに私は武力による問題解決を望んでいない。


 2003年 3月 2日(日)

 所用で街に出た・・・・諸々用事を済ますと30分程度時間が空いた!さて30分をどう過ごそうか?思案していると
ある百貨店の案内が目に付いた【全国うまいもの市】ありふれた催し物であったが見物することにした。

 催事場では全国各地の名産品特産品が並び、活気づいていた・・・・すると、ある一角から聞き覚えのある、そして
懐かしく、郷愁を誘う、メロディーと唄が聞こえてきた。

「♪ たー○ー、たー○ー ○の○、元祖浪花屋の○の○、元祖浪花屋の○の○ ♪」
 (注:著作権保護のためモザイク処理いたしました。あしからずご了承下さい)。


 元祖浪花屋のCMソングである!うぉぉ元祖浪花屋の○の○ではないか!やっぱり、郷愁を誘う缶のパッケージが
たまらない→ こちらをクリック  勢いで一缶買ってしまった・・・・

 ことろで今でもあのCMはやっているの?新潟県民のみなさん 情報を求ム!


 2003年 3月 1日(土)

 いよいよ年度末ですね。まぁ節目の時期。花粉症の季節。

 最近、更新の切れ味が鈍っておりますが、そうそう簡単にネタは仕込めません。地道な活動を続けるのでよろしく
お願いします。

 それでは3月号のスタートです。                                              13703


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