Rhapsody in Kunya


 2003年 5月30日(金)

 最近好んでよく観るTV番組にビューティー・コロシアム(フジTV系)がある。その中でダイエットがよく話題になるが
出演者の自己流ダイエットの話を聞くと極端な食事制限や偏った食事でダイエットに励む話がでてくる。

 そんな、おかしな方法でダイエットが成功するはずがない。

 日本の教育水準はどーなっているのか?


 2003年 5月29日(木)

 太平洋戦争における、これらの愚行・無責任・破廉恥な行為は昔々の軍の話であると笑えるだろうか?過労死の
問題、企業不祥事の問題、我々の社会には当時の愚行・無責任・破廉恥な行為を笑えないハズである。

 念のために言っておくが・・・・わずか50年前ほど昔の太平洋戦争には謎が存在する。例えば公文書の公開が進
んでいるアメリカでも公文書公開の例外扱になっている文章が存在する。もしかしたら現在、常識化している事実?
がひっくり返る機密があるのかもしれない。

 太平洋戦争ネタの参考文献

・佐治芳彦/太平洋戦争の謎/日本文芸社
・佐治芳彦/雑学 太平洋戦争の真実/日東書院
・副田 護/太平洋戦争49の謎/廣済堂
・NHK取材班編/ドキュメント太平洋戦争 1〜6/角川書店
・福田誠 牧啓夫/太平洋戦争 海戦ガイド/新紀元社
・小室直樹/日本の敗因/講談社


 2003年 5月28日(水)

 特攻作戦として見逃せないのが戦艦大和を使った水上特攻作戦がある。沖縄に上陸しつつあるアメリカの船舶
群に戦艦大和が大砲を撃ちまくり突入し、そのまま海岸にのり上げ砲台として大砲を撃ちまくる!?

 話だけは威勢がよいが、そもそも戦闘機の護衛がない戦艦がいかに無力か!当時、沖縄周辺にはアメリカ軍の
空母群が警戒しており、その航空攻撃を免れる可能性はゼロに等しい。仮になんらかの奇跡で戦艦大和が海岸に
のり上げても格好の標的となり爆破されるのがオチである。

 こんな意味不明の愚行が本当に実行され、案の定戦艦大和はアメリカ軍の航空攻撃で撃沈されたのである。この
ときの戦死者は約3600人・・・・


 2003年 5月25日(日)

 特攻隊の出現にアメリカ軍は恐怖した。そう伝えられている。もちろんウソではないが・・・・アメリカはやられっぱ
なしだった訳ではない。

 それは鉄壁の対空防御体制である。まずはレーダーで特攻機の接近を察知する。各艦で捕らえたレーダーの情
報は中央司令室に集約され接近する特攻機の方向・距離・高度を分析して戦闘機に伝えて誘導し迎撃するのであ
る。戦闘機の襲撃を潜り抜けても猛烈な対空砲火が待ち構えている。
 対空砲火に使われる高角砲の砲弾にはVT信管が装着されている。これは砲弾から電波を発信して特攻機との
距離が15mになると感知して自動的に爆発し、その破片と爆風で特攻機を撃ち落す仕組みである。因みに砲弾
が特攻機を貫く方向で飛ぶときは起爆装置は働かないのである。

 この対空防御により特攻機の約90%を撃墜することに成功しているのである。


 2003年 5月24日(土)

 1945年になると本土決戦用に飛行機は温存するようになった。そこで特攻には旧式の飛行機や練習機が使わ
れるようになった。練習機を使うなんて・・・・

 練習機はその名のとおり飛行訓練用の飛行機で速度も遅く、爆弾を装着するように作られてない。そんな飛行機
に無理やり爆弾を装着すれば飛ぶのがやっとになる。さらに飛ばすのがやっとのパイロットが操縦すればどうなる
か!フラフラ飛ぶ飛行機にアメリカの戦闘機や対空砲火を浴びたらどうなるか!格好のマトとなり撃ち落とされるの
が100%確実である。

 このような無意味な行為を現場指揮官・軍上層部は中止にできなかったのである。


 2003年 5月23日(金)

 この状況に軍の上層部は”気合だぁ〜”根性だぁ〜”精神力だぁ〜”大和魂だぁ〜”とほざいていたのである。己
の無計画を鑑みず最前線の現場に負担をしいたのである。

 その結果、飛行訓練での事故が増え「同じ死ぬなら事故で死ぬより敵とさしちがえて死ぬ方がマシ」といった雰
囲気が生まれ。1944年フィリピンの戦で最初の組織的な特攻が行なわれたのである。このときは目標も期間も
限定的であったが、いつしかそれが恒常的になったのである。

 ”気合だぁ〜”根性だぁ〜”精神力だぁ〜”大和魂だぁ〜”はついに人命の使い捨て思想に変貌したのである。私
はこのような悲惨さを知り”気合”根性”精神力”という言葉が大嫌いになった。


 2003年 5月22日(木)

 特攻隊誕生の背景には当時の軍部の無計画さが大きく関わっている。

 太平洋戦争の主役は航空機である。そして航空機を操縦するパイロットの養成は一朝一夕にできるものではな
い。例えば戦争直前日本海軍は大型空母2隻を就航させるがパイロットの養成は空母完成直前からはじめている。
空母の建造と同時にパイロットの養成をはじめるのが常識である、こんなことも分からなかったのか。

 さらに航空機は今も昔も最先端技術が投入されものである。その開発・製造・整備にも技術者が必要不可欠で
ある技術者も一朝一夕にできるものではない。しかし当時の軍はそんなことが分からないのか?お構いなしに技
術者を次々と召集して戦場に送り込んだのである。

 人材不足でパイロットも整備士も休みなく酷使され、さらに技術者不足で航空機は粗悪品が増え、さらにパイ
ロットや整備士にも大きな負担となった。パイロットも機体も持てる力を発揮できずに次々と失われたのである。


 2003年 5月21日(水)

 太平洋戦争と言えば特攻(神風特別攻撃隊)を忘れる訳にいかない。特攻によって命を失った若いパイロットの
ことを想うと、それを批判することは憚られる雰囲気があるが、特攻という作戦行為と特攻で亡くなったパイロットは
区別して考えるべきだろう。

 まずは富永恭次中将の愚挙・醜態・破廉恥な行為を

 フィリピン方面の航空部隊の司令官だった富永は若いパイロットたちに「諸君は”神で”ある」と言って激励?して
精力的に特攻隊を編成して出撃させたのである。特攻隊が出撃する際は「私も最後の一機で出撃する」とまで言っ
ておきながらアメリカ軍が迫ってくると部下を置き去りにして台湾へ逃亡したのである。ただでさえ不足している戦
闘機を司令官命令で護衛につけて、さらに「胃潰瘍の治療のため」という軍医の診断書も用意していたそうだ。

 「生きて虜囚の辱めを受けず」(捕虜になるな、そんなときは死ね)と強要しながらトップの司令官は敵前逃亡で
ある。そんな富永は軍法j会議にもかけられずクビにもならなかったそうだ。


 2003年 5月20日(火)

 太平洋戦争の話を続ける。

 インパール作戦は失敗に終わり、やがて連合軍が迫って来ると牟田口廉也は部下を置き去りにして逃亡するの
である。愚挙・醜態・破廉恥な行為は戦後にも及ぶ。インパール作戦の愚行が発覚するのを恐れた牟田口廉也は
インパール作戦の失敗は最前線の師団長にあった。そんな大嘘を当時のマスコミに垂れ流したのである。


 2003年 5月19日(月)

 太平洋戦争の話はお休みして・・・・F−1ワールドグランプリについて

 また、M.シューマッハーが勝った。給油トラブルでマシンの給油口から少々炎が上がったが結果的には、そんな
トラブルがあったの?みたいな勝ちっぷりだった。

 贔屓のクルサードは予選が振るわなかったのが影響したのか?(ほとんど放送されなかったので詳しくは不明)地
味に5位であった。なんかライコネンとの差が開いているようで遺憾である。因みにクルサードは突然なにかが乗り
移ったかのように速くなることがある。去年のモナコがそうだった。ケッパレ!クルサード!!

 因みに昨日のTV放送は長野五輪金メダリスト舟木和喜氏がゲストだったが正直意味不明のゲストであった。私は
舟木氏を非難するつもりはない。このような意味不明なゲストを呼ぶ放送局の姿勢に不信感を覚えるのだ。


 2003年 5月18日(日)

 私の実家の近くに太平洋戦争においてビルマ戦線で亡くなられた人々の慰霊碑がある。そう悪名高きインパール作
戦で亡くなられた人々のために・・・・インパール作戦は実施前から強硬な反対意見があった。強硬な反対論者を更迭
してまでも強硬に作戦を推し進めたのは牟田口廉也中将であった。

 作戦を実施すると反対論者が懸念通り補給が途絶え前線部隊は苦境に至った。最前線から武器弾薬・食料が尽き
たので補給のために後退すると連絡があると「武器食料が尽きても戦うのが皇軍である」と撤退の許可を与えず。作
戦の失敗が明かになっても自分の面子にこだわり撤退の許可を与えなかったのである。 


 2003年 5月17日(土)

 1944年3月海軍実行部隊の閣僚はパラオ島に集結していた。3月31日緊急連絡が入る。【アメリカ軍がパラ
オ島に接近している!】慌てふためいた閣僚は部下を見捨ててフィリピンへ逃亡したのである。あまりの慌てぶり
に搭乗した飛行機は整備不良(給油不足)であった。因みに【アメリカ軍のパラオ島接近は誤報であった!】

 閣僚を乗せた2機の飛行艇は悪天候もあり墜落。古賀長官を乗せた機は消息不明に福留参謀長を乗せた機
はフィリピンのセブ島近くに不時着したが、そこはアメリカ側ゲリラの勢力下であった。参謀長,作戦参謀9名は
敵軍の捕虜となる大珍事が発生したのである。しかも軍事機密満載の作戦書類まで奪われる不始末ぶりであっ
た。

 怒りに打ち震えるのはまだ早い。やがて捕虜となった閣僚9名はゲリラ側と日本陸軍の取引によって釈放され
る。これだけの大失態をやらかした福留参謀長は罷免もされず、辞任もせず、第2航空艦隊司令長官に栄転し
たのであった。


 2003年 5月16日(金)

 1942年 6月太平洋戦争の分岐点ミッドウェイ海戦が勃発した。日本はこの海戦で大敗北を喫した。日本海軍
はこの海戦に空母6,戦艦11,巡洋艦16,駆逐艦50隻を投入。アメリカ海軍の投入兵力は空母3,巡洋艦8,駆
逐艦15であった。これだけの兵力差がありながら負けたのである。

 負けの原因はいろいろあるが作戦の不備と現場指揮官の判断ミスは免れない。

 しかし作戦実行部隊の責任者:山本五十六大将も現場責任者の南雲忠一中将も罷免もされず、辞任もせず現
職に留まったのである。


 2003年 5月15日(木)

 1941年12月 8日(日)日本海軍は航空機母艦を主軸とする機動部隊でアメリカ海軍の拠点ハワイ・オアフ
島真珠湾の軍港を空襲。アメリカ海軍の主力戦艦8隻を撃破した。
 この作戦の現場指揮を執ったのが南雲忠一中将であるが彼の経歴は航空機に関してまったく不案内であった
そうだ戦争という非常事態にも年功序列人事を履行した軍の人事センスは呆れるほかない。

 話は少し横道にそれるが、この真珠湾攻撃の際、宣戦布告が日本大使館の不手際で遅れ「日本は卑怯者」と
の汚名を着せられことになった。この重大な不手際をやらかした大使館員は戦後なんと外務事務次官まで出世
し勲章まで授与されたそうだ。


 2003年 5月14日(水)

 小学生の頃だった。私が属していたクラスで局所的した戦記ブームが湧き上がった。私のそのに参加し真珠湾
攻撃・ミッドウェイ海戦の話で盛り上がり・零戦や軍艦のプラモデルを作った。私の記憶のなかに日本軍は勇敢に
戦った。連合軍の物量に負けた。そんな刷り込みがあった。

 本箱を整理していたら10年ほど前に購入した太平洋戦争関連の本を見つけた。これらの本には『「連合軍の物
量』以前の問題点が明らかにされていた。もちろん日本軍は勇敢に戦ったが肝心の将校連中が無能・無責任・臆
病者だったのだ!


 2003年 5月 9日(金)

 精神科医S女史お薦めビデオ第3弾「ビューティフル・マインド」を観ました。今回も予備知識なしで観たのがよかった。
「こりゃ〜、スリル&サスペンス・・・・ミステリー」などと思って観ていたのですが

 
何だって!!!!!!!!!おいマジかよ!!!

 予想をぶっ飛んだ展開に椅子からずり落ちTVが画面を叩いていた。そして最後にはカンドーが私の涙腺を大きく揺さ
ぶった。本当は語りたい事がまだまだがるがネタを明かすといけないのでこの辺で退散する。


 2003年 5月 8日(木)

 先日、観たTV番組「スイスペ!古館伊知郎のザ・インタビュー」は見応えがあった。と言っても宮崎俊輔氏とのインタ
ビューだけだったが。宮崎氏は在日韓国人の父と日本人の母の間に生まれ1960年一家で北朝鮮に渡る。1996年決死
の覚悟で中朝国境から単独脱出、極秘で日本に帰国をはたした人物である。

 話は北朝鮮での厳しい生活。北朝鮮に残る家族へ思い。まさに赤裸々に語っていた。衝撃的だった。そして、もっとも
腹立たしかったのが日本における差別・いじめの話だった。

 さらに宮崎氏は近々、家族を取り戻すために再び北朝鮮に渡ると語っていた。私は彼の決意に涙した。宮崎氏が家族
を取り戻し無事帰国をはたす事を祈る。


 2003年 5月 5日(月)

 F-1スペインGPはM.シューマッハー(フェラーリ)が優勝した。ダントツの圧勝ではないが、またM.シューマッハー
か!今シーズンもM.シューマッハーなの?素直に喜べない私がそこに居た・・・・

 しかも贔屓のクルサード(マクラーレン/メルセデス)が前半でリタイヤした。

 クルサード!ケッパレ!


 2003年 5月 3日(土)

●マーラー:交響曲 「大地の歌」
 ブルーノ・ワルター/指揮
 ユリウス・パツァーク/テノール
 カスリン・フェリアー/アルト
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 1952年 5月17日ライブ録音
 TAHRA Tah 482(輸入盤)

 マーラーの交響曲「大地の歌」の名盤のひとつとされているワルター/パツァーク/フェリアー/ウィーンフィル
によるDEECA盤は1952年5月14〜16日に録音セッションがもたれました。その翌日の5月17日と18日には
同じ顔ぶれによる演奏会が行なわれTAHRAから17日のライヴ録音が発売されました。

 あのDEECA盤の演奏にライブならではの緊張感・勢い・ノリが加わるのでは?そんな期待があったのですが・・・・

 録音を耳にすると期待と違っていました。1〜4楽章はDEECA盤より抑えた感じで、5、6楽章でようやくライブらし
い緊張感・勢い・ノリが発揮されていました。録音セッションのDEECA盤より音質が悪いのは当然ですが、残念なが
ら全体として、それを補う魅力は伝わって来なかった。

 音質についてあるがモーツァルトの交響曲40番を収録した5月18日のライブがSONYから発売されているが明ら
かにそれより劣る。
 低音と高音をカットしたような音でハムノイズもあり保管状態が悪かったのか状態も一定でない。バランスはオケ
が引っ込み独唱が強く収録されいるのでヘッドフォンを使うと独唱がうるさく感じる。しかし逆に言えばパツァークと
フェリアーの歌声は細かく撮れえているので5、6楽章での両者の語り口には感銘を受ける。

 なおアンプのトーンコントロールでBassとTrebleを持ち上げると聴きやすくなったの付け加えておきます。 


 2003年 5月 1日(木)

 風薫る5月です。ようやくストーブからおさらばできる季節です。

 それでは5月号のスタートです・・・・


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