Rhapsody in Kunya
2004(平成16)年 5月28日(金)
●シベリウス 交響曲 第3番
サー・コリン・デイヴィス/指揮 ロンドン交響楽団
*録音:1992年12月1〜3日
RCA 82876-55706-2
*録音:2003年 9〜10月
LSO Live LSO0051
最近よく聴く曲にシベリウスの交響曲第3番がある。親しみやすく魅力的なメロディー、弾むようなリズム、簡素
ながら盛り上がる終楽章。人気の2番より気に入ってます。
少々乱暴な区分けですが、これ以降の交響曲は断片的メロディーが無表情に重ねられ漠然とした気持ちにさ
せられますが、第3番はその逆でメロディーが気持ちよく歌われます。
正直に言ってシベリウスらしさは独自性があまり発揮されていないのが魅力です。こんなこと言ってしまうと天国
のシベリウスさんは怒るかな?
2004(平成16)年 5月22日(土)
●ブラームス 交響曲 第1番
ウィルヘルム・フルトヴェングラー/指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1952年 1月27日
EMI TOCE−8509
曲の「劇的変化」のブラいちと言って思い出すのがフルトヴェングラーである。フルトヴェングラーの録音は幾つ
かあるが、私の手元にあるのがこの録音である。
久しぶりに聴き実感したのが音色の多彩さである。音色と言うよりも雰囲気と言った方がよいか?
多彩なテンポ変化が唐突に聴こえない(聴こえる人もいると思うが)で自然な変化に感じられるのは、この雰囲
気作りの巧みさにあると思う。
2004(平成16)年 5月18日(火)
●ブラームス 交響曲 第1番
アルトゥーロ・トスカニーニ/指揮
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1952年 9月29日
TESTAMENT SBT-3167
「剛」のブラいちと言って思い出すのがトスカニーニである。トスカニーニの録音を幾つか聴いたことがあるが、
強烈に印象に残るのが<極端な無残響録音>である。トスカニーニが残響の少ない会場を好み録音したらしい
が、あまりにも極端なので異様に感じる。
このフィルハーモニア管弦楽団とのライブも残響が少なめであるがNBC交響楽団との一連の無残響録音と比
べると自然な感じである。
ムラヴィンスキーは「剛の一徹」で最初から剛速球でグイグイとなぎ倒すとしたら、トスカニーニは決め所でズバッ
ト「剛の業」で仕掛ける。さらに曲の「劇的変化」を計算し仕掛けを施している。特に最終楽章のコーダーでテンポ
変化に伴ってテンションが高まり様は圧巻であった。
2004(平成16)年 5月15日(土)
●ブラームス 交響曲 第1番
エフゲニー・ムラヴィンスキー/指揮
レニングラード管弦楽団
録音:1949年
MELODIYA/BMG BVCX−4021
ブラームスの交響曲第1番せ最近、聴いたので衝撃を受けたのがムラヴィンスキー盤であった。名は体を表す。
体は演奏を表す。の格言(?)のとおりムラヴィンスキーの風貌そのままの演奏であった。
ワルターが「柔」の演奏ならムラヴィンスキーは「剛」の演奏。凝縮された硬質な響きで一気呵成に仕上げている。
「剛」の特徴は一気呵成の爽快感は皆無でピリピリした緊張感が貫いている。
2004(平成16)年 5月11日(火)
●ブラームス 交響曲 第1番
ブルーノ・ワルター/指揮
コロンビア交響楽団
録音:1959年11月25日
CBS/SONY 22DC5587
ブルーノ・ワルターが最晩年コロンビア交響楽団とステレオ録音を遺した。コロンビア交響楽団は録音用の
臨時変編成,小編成のオーケストラなのでブラ1のような曲との相性はよくない?と思ったのですが、思い過
ごしでした。
遅めのテンポで堂々と雄大で厚みのある音楽を展開している。
やっぱり曲によってオケの編成を変えていたのだろうか?
2004(平成16)年 5月 4日(火)国民の休日
4月下旬の曇りの日だった。これからお話しする事件は天気と少なからず関係があると思う。
某量販店へレッツで買い物へ行った。そのハイ・パワーに振り回されながら・・・・駐輪場は空いていた。食料
品・雑貨を買い込み、駐輪場に戻ると両脇に自転車が止まっていた。その間隔は少々狭かった。「狭いな〜」と
思いながら私はスクーターと自転車の間に身体を滑り込ませ、愛車を「グッ」と押し出した。突然のことだった。
左足に 激痛!激痛!激痛!
何が起きたのか???今にして振り返るとバイクのスタンドに足を挟めるようにぶつけたのであろう。バイク
の蹴りは強烈であった。外出好きの私が未だに外出を控えているほどである。
2004(平成16)年 5月 3日(月)憲法記念日
さいたまのでの生活にまだ慣れていない。
先日こんなことがあった。あるTV番組を録画したが・・・・まったく違う番組を録画してしまった。埼玉県と宮城県
ではチャンネルが違うのである。
長年の習慣はかなかな改まらない....