Rhapsody in Kunya


 2005(平成17)年 1月29日(土)

 先日、ある科学教育TV番組を見た。宇宙の進化を説明する番組で内容は極めてディープで私の脳細胞でも
理解しきれない部分もあった。

 私が興味をもったのは<暗黒物質>と<暗黒エネルギー>の話であった。

 宇宙には目には見えない<暗黒物質>と<暗黒エネルギー>が存在するというのである。目に見えないとい
うのは肉眼で見えないという意味でなく、さまざまな観測装置を駆使しても見えないという意味である。

 では、さまざまな観測装置を駆使しても見えないものが何故あるとわかるのか?

 ここに科学者の発想のおもしろさが光っていた!

 目に見えない<暗黒物質>と<暗黒エネルギー>が存在する前提で計算をすると物理法則が成立する。だから
目に見えなくても<暗黒物質>と<暗黒エネルギー>が存在する証明になる。

 やっぱりエライ科学者は発想が一般人とは違うな!


 2005(平成17)年 1月24日(月)

 フルトヴェングラーの録音といえば大戦中の録音が有名である。

 私は、正直にいって苦手である。

 嫌いというより苦手がピッタリとした表現である。愛好家の方々は壮絶な演奏、気迫迫る演奏、尋常ならざ
る演奏と称えられている。まさしく、その通りである。しかし、私にはあまりにも壮絶すぎて・・・・例えるなら
<残酷なシーン>を見せられているような居心地の悪さを感じるのである。

 ところが例外があってウィーン・フィルとのライブは居心地の悪さを感じないのである。

 これは偶然か?ウィーン・フィルだからなのか?


 2005(平成17)年 1月18日(火)

 これをキッカケにフルトヴェングラーの録音を聴くようになった。

 ベートーヴェンの英雄(ウィーン・フィル/44),第九(フィルハーモニア/54),ブラームスの1番(ウィーン・
フィル/52),3番(ベルリン・フィル/54),4番(ベルリン・フィル/48)などフルトヴェングラーの創り出す
世界に夢中になった。

 しかし、私はフルトヴェングラーの信者、熱心なファンにはなれなかった。ひとつに私は貧しい録音状態から
も演奏の素晴らしさを感じ取る能力が劣っているからであろう。

 例えばベートーヴェンの第7交響曲ウィーン・フィルとの録音セッション盤があるが、音楽が盛り上がり決め
所になるほど当時の録音技術の限界のため鳴りが悪くなる。なんとも残念な、もどかしい、くやしい気持ちに
なる。音楽が盛り上がり「さぁ、いよいよ!」と期待が高まっているだけになおさらである。 


 2005(平成17)年 1月17日(月)

 バイロイトの第九体験から1年ほど経過した頃、私はフルトヴェングラーの強烈な洗礼を受けることになった。

 1947年5月27日録音のベートーヴェンの交響曲第5番を耳にしたのである。

 ものものしい運命の動機、流動するテンポ変化、レコード・プレーヤーが壊れた?とドキドキするような長い休止、
ティンパニーの強打、生々しい金管、艶かしい木管、第3楽章から第4楽章への繋ぎは音を引っ張り、暗黙から
光がこぼれ落ちるように勝利の主題を奏でるドラマチックな演出!コーダーでのメチャクチャなスピードにどれほ
ど興奮したことか!

 フルトヴェングラーの魔術にハマッたかのように、1日1回はこの録音を耳にしないと気が済まない日が数日続
いたことを覚えている。


 2005(平成17)年 1月16日(日)

 私のフルトヴェングラー体験を振り返ると”天下の名盤!不滅の金字塔!究極の名演!と評論家、一般ファ
ンがこぞって絶賛するバイロイトの第九だったと記憶している。

 クラシック音楽に興味を持ち始めた10代後半多感な?年頃だった・・・・・

 伝わってくる絶賛の嵐に「どんなに凄い演奏なのだろうか?」と期待に胸を膨らませてLPレコードに針を落と
した記憶がある。

 レコードを聴き終えた結果は「・・・・???・・・・・」であった。「これがを天下の名盤!不滅の金字塔!究極の
名演!なの?」

 フルトヴェングラー特有の流動するテンポ、独特の間が煩わしく感じられたのであった。


 2005(平成17)年 1月15日(土)

 宇野功芳/企画・編集 フルトヴェングラー /Gakken Mook 赤い表紙の本である。

 ウルトヴェングラー賛美一色でなく福島章泰氏と佐藤 眞氏は否定的見解を示している。驚くのが福島氏でフルト
ヴェングラーを聴くと体調を崩すそうである。全身が倦怠感に襲われ、朝起きるのも辛くなるそうである。これはフル
トヴェングラー嫌いというよりもアレルギー/拒絶反応ですね。

 佐藤 眞氏は天下の名盤と誉れ高き不滅の金字塔バイロイトの第九を拙演と斬り捨てている。ギター侍/波田陽
区のように「残念!○○斬り!」 のようなユーモアは皆無でひたすら論理的・理屈で斬ってゆくのは少々怖い。


 2005(平成17)年 1月10日(月)

 ♪:O Fortuna,velut luna statu variabilis,

 正月の定番はウィンナ・ワルツ、箱根駅伝、初詣といろいろあるけれど私の場合はカルミナ・ブラーナである。

 CMやバラエティ番組には欠かせない曲になっているが、ことの発端は数年前の正月に、この曲のCDを購入
して気に入ったからである。極めて単純な理由である。

 飲めや、歌えや、ヤンヤ踊れや、イチャイチャしましょう!と正月にふさわしい内容と自負している。今年は図
書館で借りた小澤征爾/指揮のベルリン・フィル盤であった。


 2005(平成17)年 1月 8日(土)

 あけましておめでとうございます。新年、早々に物騒な話をしなければならない。

 新年からパソコンの不調に至った・・・・祈祷を施すとコンピューター・ウィルス
に祟られていたことが判明した!

 祟りを鎮めシステムの復元に貴重な時間を盗られてしまった。

 ウィルス対策ソフトを組み込んでいたがアップデートを怠ったことが災いした。

 災いから始まった新年であった。


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