Rhapsody in Kunya
2005年 7月26日(火)
しばらくインターネットと繋がらなかった。
パソコンにトラブルが発生すると、ハードのトラブル?ソフトのトラブル?周辺機器のトラブル?どこに不具
合があるのか判断がつかないことが困ってしまう。今回も、いろいろい調べても繋がらずプロの手に委ねな
ため電話を手にした。
ビックリ仰天!電話が繋がらないのである。調べてもらったところ家の外にある電話回線が断線していたそうだ。
今回のトラブルにパソコンは無関係であった。
2005年 7月19日(火)
図書館でこんなCDを借りた。聴いた驚いた!
スメタナ:交響詩「我が祖国」
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ニコラウス・アーノンクール/指揮
録音:2001年11月3〜7日
BMG/RCA BVCC-34090-91
私が驚いたのは、この演奏から「静けさ」を感じ取ったからである。またの名を「枯淡の境地」。フルトヴェ
ングラー,クナッパーツブッシュ,クランペラーといった巨匠たちの晩年の録音から聴き取れる。刺激的か
つ露骨な言い方をすれば「死臭」がするのである。
私は直感的にアーノンクールは5年以内に死ぬと感じ取ったのである。
1929年生まれ単純計算で76歳になる。同世代のクライバー,スヴェトラーノフ,ベルティーニは既にお
先している・・・・これは私の思い過ごしであろうか?
同世代のコリン・デイヴィス、マゼール、ベルグルンドは生きているらしいが・・・・・
2005年 7月13日(水)
なにかと話題になっている歴史認識問題。突然TVの街頭インタビューを突きつけられても大丈夫なように
日本・朝鮮・中国の近代史の本を数冊読んだ。
歴史認識といえば自虐的歴史観に対する賛否、○○事件はなかった、など刺激的な内容がある。私がもっ
とも刺激的に感じたのは本を書く立場や視点によって、同じ内容でも受ける印象がガラリと変わることであった。
こんなことは理屈ではわかることであるが、実際に本を読むことによって得られる刺激は貴重な体験であった。
僅か数冊であったが歴史の真実を知ることの難しさが実感できた。そして私は悟った!結局、歴史の真実
を知ることは不可能であると!知ることが出来るのは一面的な見方のでみあると・・・・
2005年 7月 8日(金)
録音を聴いた感想を書き加える。
ベートーヴェンの音楽は押しの強さが特徴である。ところが、この2000年に録音された盤は押しの強さ
が著しく後退しているのである。つまりベートーヴェンらしくないのである。
こんなのベートーヴェンじゃな〜い!と反感の気持ちが沸々と湧き上がり・・・・
不思議とそんな気持ちは沸き起こらず飄々と進められる音楽に耳を傾けているのである。すると飄々と進
められていると感じるのは、じつは演奏の表面的なうわべしか聴いていないのではないか?このように感じら
れるのである。
やっぱり、この演奏は堂々とした押しの強い演奏なのか?と思い始めると飄々とした演奏に感じられるの
である。
不思議な感覚であった。
2005年 7月 7日(木)
図書館でこんなCDを借りてきた
ベートーヴェン:交響曲 第3番 「英雄」
大阪フィルハーモニー交響楽団
朝比奈隆/指揮
録音:DISC1:2000年7月 8日大阪/ザ・シンフォニーホール
:DISC2:2000年7月23日東京/サントリーホール
EXTON OVCL―00026
何とビックリ!同曲同人同オケの15日違いの録音を2枚組みで発売する企画の一枚である。当時の私は
食傷気味に感じていたが、演奏会のドキュメントを提供する新たな試みだったに違いない。
新たな試みに批判はつきものである。しかしフルトヴェングラーでは同曲同人同オケの数日違いの録音が
市場に流通し、海賊盤市場では有名指揮者のスタジオ録音前後のライプ盤が市場を闊歩している。
フルトヴェングラーなら何でも許されるのか?故人ならよいのか?市場に需要があるではないか?
当時の私が食傷気味に感じていたのは理性的判断が浅かったのだろう。
2005年 7月 4日(月)
今月の20日から諸般の事情から学校へ通うことになった。15年振りである。
しかも電車を使っての通学である。今までの人生で通学の足は徒歩と自転車、こっそりバイクであった。私は
定期券を使って電車に乗ることに密かなあこがれ抱いていた。それがいよいよ実現するのである。
因みに、私の住む田舎ではスイカは使えない!